戦後社会が生んだ伝説の反社/溝下秀男『極道一番搾り』
モハメド・アリがスラムのヒーローなら、溝下秀男は遠賀川のヒーローだ! 筑豊の伝説のヤクザが書いたドタバタエッセイ『極道一番搾り』『愛嬌一本締め』。人の底まで知り尽くした溝下は、愛情溢れるまなざしで「おもしろうて、やがてかなしき」ヤクザの世界を語る――。おい!なんで絶版なんだよコレ!(文・黒幕ちゃん)
溝下秀男という男を知っているか?
溝下秀男という伝説のヤクザをご存知だろうか。
生まれは筑豊、私生児として生まれて以降は数々の家をタライ回しにされ、小学校を卒業したのち捨てられた。孤児になり、幼い妹を養うために炭鉱で働き、荒くれ者の多い風土の中で腕っ節を磨いていった溝下は、ハタチ過ぎという若干遅い年齢で渡世入りを果たすも、その類稀なる才覚と(ヤクザに必要なのか最早分からない)ユーモアセンスによって任侠界、更にはカタギの間でも知名度を上げていく。
具体的な任侠界での功績を挙げるとすれば、山道抗争(山口組と道仁会による抗争)を一人で手打ちにまで持ち込んだことや紫川抗争(工藤会系草野一家組員が山口組系組員を殺害したことによって生じた抗争)以降、さまざまなすれ違いが起こり分裂状態にあった工藤会(当時の工藤組)を再び一枚岩にし、組織の基盤を磐石のものとしたことなどが挙げられるだろう。もっとも、これらがカタギの世界に良い影響を及ぼしたとは、抗争の中で命を落とされた一般人の方々のことを思うと当然言えないわけだが…。
さて、溝下の話をする前に溝下が属したクミ組織についても簡単な解説をさせてもらいたいと思う。工藤会と一言で言っても、大きく分けて「田中組」と「草野一家」の二つに分類されるのだが、溝下が属し、後に率いることとなるのは「草野一家」のほうである。
草野一家は草野高明親分が創設した組である。草野親分というのは、炭鉱町に集まってきた所謂「川筋者」と元々その土地に住んでいた住民の間に生まれたトラブルを解決したり、川筋者を一纏めにして悪さをさせないように見張る「近代ヤクザの祖」と称される吉田磯吉親分に類似する役回りを担っていた御仁であり、ある意味での治安維持機能を司る川筋ヤクザの保守本流とも呼べる存在であった。
簡単な説明をした上で、早速本題に移りたい。
『極道一番搾り』/『愛嬌一本締め』
黒幕ちゃんが今回みなさんにオススメしたい絶版本は溝下秀男の著書である『極道一番搾り』と『愛嬌一本締め』だ。
裏帯のみんな大好き突破者・宮崎学の推薦文もすばらしい。
「モハメド・アリがスラムのヒーローなら、溝下秀男は遠賀川のヒーローだ」
お、遠賀川のヒーローって…なに…!?既存の戦隊ヒーローが余すことなく大集合した場に混ざっても埋もれそうにない強烈なワードインパクト。
「遠賀川のヒーロー」なるものが本当に存在すれば、「青春の門(五木寛之著)」のしんしゅけさんも上京するのにあんな苦労はしなかっただろう。
拳一振で烏尾峠をぶち抜いて筑豊を一瞬で拓けた土地にしてくれそうである。
なんと言っても内容がすこぶる面白い。というか名文、書店に今でも並んでいればベストセラーになっていた気がするのは私だけじゃないと思う(たぶん)。
「動物好きの溝下が九官鳥を飼っていたら、家宅捜索のときに九官鳥が全部ゲロっちゃった話」「組の前に〈極政会本部〉という立て札をしていたら警察に撤去するよう指示されたので、〈溝下アニマルランド〉という立て札を代わりに出したところ、今度は子供が間違えるからやめてほしいと頼まれ、おもしろくなって〈暴力追放推進本部〉と書いた立て札を組の前に出した話」(警察が最終的に極政会本部に戻してくれと言ってきたというオチまである)「まったく風呂に入らない かかりつけ医・通称〈フケイン〉の奇行の数々」「フケインの元に訪れる筑豊の珍妙な患者たちが引き起こす悲喜交々の人間劇場」etc…..
やがてかなしき……
ヤクザの方がまだ優しかもんね、と溝下をして言わせるほどのヤバいカタギのみなさんも登場している。人間ってなんだろう、親族に一時は捨てられ、人の底まで知り尽くしているであろう溝下が向ける愛情に溢れた眼差しは世間的には落伍者と呼ばれるような人間にも、動物にも、あまねく向けられている。
おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな
溝下が好んで口にした松尾芭蕉の俳句は溝下の人生、そしてヤクザ組織全体を象徴するものに思えてならない。
溝下は『ザルそばの食べ方が分からない』とか『シートベルトの外し方がわからない』とかそういう子分を見る度におもしろうて やがてかなしき…と口ずさんでいたわけだが、そもそも溝下の出自自体が黒幕ちゃんから見れば『おもしろうて、やがてかなしき』なのである。
著書に『県警vs暴力団』がある工藤会を30年間撲滅させるためだけに働いてきた刑事をして、〈父親の名前も誕生日も書いてない溝下の戸籍を見ると切なくなる〉と言わしめているわけだから、この感覚もあながち間違いではないだろう。
溝下の将来の夢は政治家(或いはプロボクサー)であった。ベテラン刑事にすらカリスマ性を認められるほどの人物であったのだから、最低限、文化的な生活を営める程度の家庭に生まれついていれば政治家にも何処ぞの企業の幹部にもなれたのではないかと思う。もっとも、それが幸せだとも言いきれない世の中にはなっているが…。絵や書、骨董にも並々ならぬ才能を持っていたことが伺えるので芸術家になっていた可能性だってある。
溝下秀男の作品
ヤクザになんかなりたくなかった
また、溝下が『ヤクザになんかなりたくなかった。組織を大きくしても空しいだけだ。』と吐露したのと同じように、今でもその生い立ちや境遇ゆえに「アウトロー」を選ばざるを得ない人間が数多く存在していることは想像するに難くない。(小さい頃からの夢がヤクザだった人間も勿論いる)
溝下の人生は痛快だ。天然と言うには些か度が過ぎる(しかし親分のために一生懸命な)子分に囲まれ、珍しい動物達と生活を共にし、組織を大きくした。県議の後見をやったり、表の世界にも影響力はあったし、傍からみれば面白い人生であっただろうと思う。しかし、その出自を振り返ったとき『おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな』がこれほどしっくりと当て嵌る人の一生というものも他にないと改めて感じるのだ。
人間の生まれ持った優しさにも残酷さにも、これ以上ないほど触れてきた溝下秀男だからこそ書けたエッセイ。その端々に垣間見える社会の歪みは、大笑いしたあとにスッと背筋が冷えるような現実を突きつけてくる。
暴排条例が生まれて以降、ヤクザに関係する書籍は一部地域で「有害図書」に指定されたり、絶版になることが増えている。私はそれが見たくないものを隅に追いやるような行為に思えて、少しだけ悲しい。今は亡き溝下秀男は、今の世の中を見て何を思うだろう。鋭い眼差しを和らげて、予期出来ていたことだと笑うかもしれない。
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