宝塚ファンはバカなのか
先日、大学時代の友人3人で女子会をした。
そのうちの1人が珍しくモゴモゴした様子で質問をしてきた。
「あのさぁ……。しょうこはあの宝塚の件、どうなの?」
取り分けられたサラダを食べながら、言いにくそうな彼女とは逆にわたしはハッキリと言った。
「解決するまで宝塚にお金は払わないって決めてるよ」
そう答えるとなんだか彼女は少し安堵したようだった。スッキリした表情で角ハイボールを煽っている。わたしが熱狂的に宝塚を追いかけていた時期があるから、気になっていたのだろう。もう1人の友人も心なしかホッとしたように見えた。宝塚がというよりは、宝塚ファンは一体どんな気持ちでいるのかが気になるのだろう。わたしだってジャニーズ事件の時には同じ気持ちだった。
「人が一人死んでも、公演はやるんだね」
友人がポツリと呟いた。
「チケット売っちゃったし、売れちゃったからね」
なるべく軽いトーンで返事をしたけれど友人がどう感じたかは分からない。人を死に追いやるような劇団の公演を観る人なんているの?と疑問なのだろう。そして、観る人……宝塚ファンの気持ちも理解できないのだろう。それも、よく分かる。
未来ある若い女性を自殺にまで追い詰めた恐ろしい組織に金を払うなんて、殺人犯に手を貸すようなものだ。友人はそう言いたかったのだろう。なんなら自分もそう思っている。
前回のnoteにも書いたけれど、この96期いじめ裁判事件以来何も変わっていないし変わろうとしない宝塚の体質が嫌いだ。劇団員それぞれにマネージャーを付けず有志のファンに煩雑な仕事を無償で押し付けているのも嫌いだ。なんなら常に集団ヒステリー起こしてたかだか一ファンどうしでしかないのに盲目的にタカラジェンヌを崇める有志のファンクラブ(会)も嫌いだ。
今回の宝塚の事件に関してファンのスタンスは大きく3つに分かれると思う。
①宝塚に幻滅した。もう見ない。
②複雑な気持ちではあるけど、自分が好きな組は関係ないので見る。
③事件と自分の贔屓(推しのこと)関係ないので引き続き観劇を続ける。
おそらく母数が一番多いのが②で、一番少ないのは①だろう。わたしは①だけど、それは正義感が強いからとか綺麗な理由ではなく、単純に今の宝塚に贔屓がいないからだ。
宝塚のファンというのは恐ろしい。想像の100倍はヤバい人たちと認識した方がいい。自分もその一員だったからよく分かる。
冷静に考えて、いじめやパワハラが疑われる人達の興行を見て楽しめるわけがない。華々しく美しい台詞や歌、ダンスの裏側には凄まじい悪意が潜んでいると知ってしまった今、観劇どころか劇場にすら足を運ぶ気にすらならないだろう。
それでも、宝塚ファンはチケットを握りしめて劇場を埋めるのだ。「空席を作りたくないから」「贔屓をがっかりさせたくないから」。その一心で。わたしも「席を赤くしたくないから」と高い公演チケットを無料で譲っていただいたことがある。それくらい宝塚ファンの贔屓への愛は深い。
ほとんどのファンは心を痛め、どうしたらいいのか迷っているに違いない。しかし劇場が開いているなら……贔屓が舞台に立つと決めたなら……。「行かない」という選択肢をもつのはかなり難しい。
この事件の直後、とあるタカラジェンヌさんの会に入っている友人からLINEがきた。
「ファンがバカすぎて話にならない」
と、怒りが滲み出るような文面だった。
何があったのか尋ねてみると、とにかくファンクラブの会員たちは贔屓の言いなりで、会見や新聞を読もうともしない。自分たちのことしか考えてない。付き合いきれない。会なんてもうやめる。というような意味だった。
分かるわー、その雰囲気……。
わたしは思わず菩薩顔で頷いた。
とにかく宝塚は年功序列、そして男役至上主義。劇団は、ファンなんて趣味でタカラジェンヌの世話させてやってるテイのいい奴隷くらにしか思っていない。実際そうなのだから。
ここで全ての宝塚ファンが心を一つにして全ての劇場を空席にしたら、さすがに阪急自体も肝を冷やすだろう。しかし、そんなことはありえないから「裁判やってる宙組だけ休みにさせとこ」と思ってるに違いない。簡単に言えば、ファンは舐められているのである。
宝塚ファンはバカなのか。
バカというより、愚かなのかもしれない。
自分だって、今猛烈に宝塚にハマっていたらノー観劇&宝塚不買運動の決心はできなかっただろう。贔屓が舞台で歌って踊ってるならそりゃ見に行きたい。たとえ、宝塚歌劇団そのものがどんなに腐っていても。ダメ男に引っかかったり、ホストに依存するのと同じだなぁとぼんやり感じている。
しかし、それらと決定的に違うのは宝塚には110年続いているというとてつもない大記録があることだ。それゆえに「宝塚が好き」と言うとなんだか高尚な趣味をもっていると勘違いされがちであり、その世間のイメージがファンのプライドと依存心を高めている。
宝塚が好き=宝塚に課金している=何か文化的で素晴らしいものに貢献している=自分は善良な人間!! という図式にハマりがち。
しかし、一口に宝塚が好きと言っても白湯とマグマくらいファンの温度差も大きいので歌劇団側が幕を上げる以上客席は埋まるだろう。それはもう個人の判断でしかないので、わたしがどうこう言うものではない。
それから、今年の宝塚受験生はどうするつもりなのだろう?音楽学校側はどうアナウンスするつもりなのだろうか?
110年の間に作り出した宝塚の正負が、今まさに混乱と転換を求められている。
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