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変えられないもの、変えられるものを見分ける
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい
ラインホルド・ニーバー
僕は、人生における大半のことは、自分次第で「変えられる」と信じていますが、一方において自分ではどうにもならない「変えられないもの」を受け入れていくことも大切だと思っています。
これまでが辛い人生だったとしても、これから先も辛い生き方をする必要はありませんし、自分で行動を変えたり、または、制限的観念を手放すことで、いくらでも変えることができるからです。
一方で、変えられないものも存在します。
運命的なものや、人との出会い、信じられないような幸運が舞い込むこともあれば、突発的な事故、自然災害、近しい人の死など、これらはすべて変えられないもので、受け入れていく必要があります。
起きたことについて怒りや悲しみをを残したままだったり、何もなかったかのように心を凍らせることが人にはありますが、受け入れられなかったことを時間をかけて受け入れていくことで、自分が今から「何をしたいのか」に100%意識を向けることができるようになります。
「変えられないものと変えられるもの」の見極めができるようになれば、自分の人生を変えるために必要なことが見えてきて、淡々と行動していくことが可能です。
僕は以前働いていた職場で、上司からこんな言葉で、怒られたことがあります。
「君は、動いてほしいタイミングの時に動かず、動かないでいいタイミングの時に動いている」
このフィードバックは、20代当時ありがたみがまったく分かりませんでしたが、この言葉は自分の人生から、座右の銘にしてもいいくらい、ありがたい言葉のように思っています(笑)
と言うのも、私達は自分から行動して動いていく必要がある時に何もしなかったり、人任せになったり、タイミングを逃してしまうこともあるからです。
反対に、自分がやることをしっかりやって、「あとはなるようにしかならない」と流れに身を任せるタイミングであっても、心配したり、人を責めてしまうこともあります。
この感覚は、合気道の世界でも特に顕著でした。
氣の力を使って相手を投げるには、「氣」という不思議な力を使えば、体を使わなくても相手を投げることができるかというと、絶対にそんなことはありません。
反対に、目に見える体を一生懸命使うことにばかり意識が行けば、力が入り、氣の流れが停滞して、投げにくくなるからです。
1つの技の流れのなかで、自分の体を使って相手を動かす必要があるし、重力や慣性にまかせて、何もしなくても相手が勝手に転がっているようになることもあります。
「やることはやって、あとはまかせる」
おそらく、このバランスというのものは、生涯にわたって取り続けるものなのではないか、と思っています。
私自身がバランスとりに気をつけているのは、やはり自分の人生が日々楽しくなっていってるのか、苦しくなっていってるのか、その基準だけは、明確に持つことを大事にしています。
どんなに素晴らしい教えであっても、今が苦しくなったり、修行になったり、行動への自由が制限されるのであれば、それは意味がないと思っています。
逆に、超現実的に物事を見て行動し、結果が出て、それで幸せなら充分ですし、もしその途中で問題や、自分の心に満たされないものが出てきたら、その時はじめて、自分の制限的観念を手放していけばいいのです。
「困ったことは起こらない、ただ学びがやってくるだけだ」
とは、日本1の納税者、斎藤一人さんの言葉ですが、自分から悩みや困ったことを探しにいかず、ただやってきたものに対して、初めてその場で立ち止まり、解決していけばいいようです。
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