【創作大賞2024参加作品】 生か死か 第4部 「ミクロの世界」
あらすじ
医療は、この地を支えている。施療の時代を乗り越えた医療であるが、此処、四駄郡では未だ施療を続ける医師がいる。積田医師はその一人だ。彼は異色の業種変更で医師になった。西町診療所を受け持つ彼に試練とも言えるパンデミックが襲う。彼が取る行動は医師を超える患者奉仕となった。
本編続き・・・
国土全てにLRTIⅡ型は感染した。
全ての国土が最早、打つ手のない状況に陥っていた。
我が国の総理も感染し高齢の為に政治運営が困難になってしまい、他の議員も感染を恐れ大事な会議をキャンセルするという最悪の状況下、抗細菌拡散装置の開発も頓挫し国民は政府への不満から政治家狩りと呼ばれる集団が猛威を奮った。
政治家が自宅に帰宅したところを狙い暴行を加える事件が多発。
体力の無い高齢の政治家たちは、若い力のあり余った国民集団に成す術も無く倒れていった。
警察組織も感染により機能を停止しており、法はあっても只の文言に成り下がってしまった。
人間は箍が外れると成れの果てまで崩れていった。
自分の命を守る為には手段を選ばない。
絶望の淵に立った人間という生き物は社会のお荷物だった
国は都市部から崩壊し続け、空気感染という目に見えない感染経路に全ての住宅が窓を閉め切りそれが家庭内感染を増幅させていった。
死亡者を火葬する事も出来ない。
火葬場の煙突から昇る煙がウイルスを撒き散らすというデマ情報がSNS上で拡散し、海や山に遺体を放置する事例が続いた。
ウイルスは年齢も体格も関係なく人間を殺していく。
人間同士の殺し合いも始まり、特に食物の奪い合いによる殺人が多発していった。
誰もが「死にたくない。」そう考えそう思った。
かつて子供に親が「お父さん、お母さん、がいつ死んでもいいようにしっかりしなさい。」といっていた。
その親も死ぬのが怖くて怯えている。
夫を亡くした老婆も普段から夫が迎えに来るのを待っていると言っていたが、毎日お百度を踏み死を免れようと必死だ。
死に対して人間は誰しもが怯える表現をする。
生きている反対側の世界は恐ろしいと。
それが死。
足を踏み入れてみないと分からない、情報化社会でも分からないそれが死。
「まずはラットでテストを。」
積田、坂柵、袴田、帆高、馬嶋の五人はAPWワクチンの開発を進め積田の指示で一回目のラットテストに挑んだ。
「矢張りウイルスが蛋白質と結合してしまいます。」
原子間顕微鏡を覗く馬嶋は首を振り言った。
新種ライノウイルスは蛋白質と結合し増殖する事は分かっている。
だったら結合させないワクチンを接種すればいい。
単純なのだがミクロの世界ではそうは問屋が許さないのだ。
研究というものは単純な発想から生まれる。
それを実現する為に何十年何百年もの歳月を要する。
「CHX(シクロヘキシミド)を使ってみましょう。」
坂柵は蛋白質の合成を阻害するという実験結果のネット情報を参照にAPWのアナフィラキシー制御効果との併用を提案した。
「媒体がもつかどうか」
五人が同じ認識を持った。
マウスにAPW+CHXを接種し新種ライノウイルスを充満させたガラスボックスの中に二十四時間放置した。
明くる日ラットの生存が確認できた。
肺の委縮も無い事が分かると五人は治験準備に取り掛かった。
普段の研究であればラットの段階で喜びもある筈だった。
が、今もパンデミックで死に逝く人達の事を考えると実用化が進んでも喜ぶべきことでは無いと感じた。
原型があったとはいえたった一週間でワクチンの治験が始められるのは誰しもが持っている人間の火事場の糞力と言うほか無い。
「治験は私の体で。」
坂柵だった。
彼も責任の重さを感じている一人だ。
「いえ、この治験は危険を伴います。提案者である私が。」
積田も自分の意見に賛同してくれた四人を実験台には出来ないと思っていた。
その時二人の体を制するように袴田が強い口調で言った。
「そこは私しかいないじゃないですか。」
正義感からのように感じられた積田と坂柵も、医療関係者でもない袴田には治験者になる理由がないと思った。
「私じゃないとこの町を救う事が出来なくなってしまう。仮に治験事故が発生した場合、ワクチン接種をするべき医者がいない事になる。それだけは避けなければいけませんから。」
二人の医師は返す言葉が見つからなかった。
命を救うものが救いを求めるものに守られる。
医者のおかげで人間が生きているという考えは只の錯覚である事を思い知った。
いよいよ治験が始まる前日。
一番心配なのは過去の死亡例の反復だ。
研究を進める工程でも死亡するような結果にはならなかった。
袴田の説明通りに坂柵が細胞に手を加えても細胞死する事例は無かった。
積田は他の四人に断りをしてから「ちょっと所用で。」と言い残し研究室を後にした。
行先は四駄郡市役所。
彼はもう一度、APWの死亡例の究明を試みようと思ったのだ。
「このワクチンの何が死に至らしめたのか。」
原因究明は研究しているものの義務でもある。
市役所に着くと人っ子ひとりいないという表現がぴったりくるような閑散さだ。
今住民の求めるものは手続きではない。
医療を求めているのだ。
だが、自分は何も出来ず休診している。
自分の責任感の無さに積田は心が完全に折れた。
それでも役所の職員との話をする為に入口を入っていけたのはワクチンの可能性以外にない。
入って行くと職員もまばらだった。
こういう状況で話を聞いてもらえる要素は全くないと言っていい。
普段なら受付の窓口に立っているのは女性職員だが、今日立っているのは男性職員だ。
積田が近付くと後ろに下がるそぶりを見せた。
感染したくないという気持ちからの様だ。
「積田と言いますが、増宮さんいらっしゃいますか。」
増宮は市民衛生課の課長だ。
小声で「お待ちください。」と男性職員は広い職員フロアの一番奥でパソコン作業を行っている男の元に向かい、媚を振るように何か説明している。
積田を仰いだ増宮は彼の元へ歩いてきた。
お互い頭を下げ、「お久しぶりです。」と挨拶を交わすと「今日は又何でしょうか」増宮は少しとぼけながら聞いた。
積田の話は予想できている。
「どうしてもあの事を聞きださなければならない事になりました。」
積田の言葉は二人の間に亀裂をもたらすのには十分な要因となった。
増宮は苦い顔をして「こちらへ」と会議室へと招いた。
「その事項は秘匿事項でありますので申し上げる事は出来ません。」
会議室で、頑なな意思を見せる増宮の強く押し出した言葉に、積田はAPWを再開発している事を説明し、理解を得ようと必死な態を見せる。
「既に研究所は民間に移譲しましたので私のほうからどうという事は言えません。」
口に含んだ言い方に積田は勝手な事をするなと言いたいのだろうと理解した。
積田には人の心を落とそうとする邪心は全くない。
たくさんの命を失いたくないという純真な心が言葉を続けさせる。
「今の状況はこの国土の崩壊です。」
積田の断言にも増宮は動じることも無く「分かっている。」と言いたげだ。
積田は続ける。
「システムを読み解くとAPWを接種している地元住民には死亡例が無い事もご存じのとおりです。」
積田は増宮のこれまでの表情から、自分と同じ考えを抱いているのではないかと思い始めている。
思いを伝えるべく言葉を重ねていく。
「もしかすると役所の方でもAPW再開発を望む意見が出ているのではないですか。」
本音を突かれたように増宮の両眉が上がる。
積田のこれからいう事が増宮の脳内にはっきり表れてきた。
「郡の住民に対する切なる思いは私なりに理解しているつもりです。人の命は数で測られてはいけない。だからです。だから完全なるAPWワクチンの開発が必要であり、未完ではありますが救っている事は事実。緊急に必要なものを0から開発する過程でどれだけの人の命が失われていくのかそれを思うと私は生きる事に挫折してしまいそうです。」
増宮には、積田の表情は変わらなく思えるが、言葉からかなり熱い心を読み取れる。
それ以上に死に対面しているのはこの男も同じなのに、自分はこの世に存在していないとでもいうような言葉に思えた。
それは遂に、増宮の唇の糸を解いた。
「積田さんには参りました。降参です。全てをあなたにお任せします。」
「APWワクチンは害虫予防に絶大な効果をもたらし郡外の行政からも注文が殺到しました。研究は成功と誰もが思っていたんです。然し、当時の研究所所長であった袴田氏がある欠陥に気付いたのです。アナフィラキシーを押さえる免疫細胞が中枢神経を圧迫する場所に血栓を生む事を。」
積田は血栓の件と袴田の兄が所長であった事に驚きを表情だけでなく体で表わすほど椅子の背にのけぞった。
ウイルスワクチンで何かしらの副作用が出るのは仕方が無いと思われたが血栓とはと、稀な事例に困惑し、発見したのが袴田兄でデータに無かった所長だとする言葉に人と人の繋がりは縁という立った一文字では表現しきれないものだと思った。
血栓症はエコノミークラス症候群などに代表される血管が傷つく事でコラーゲンに血小板がつきたんぱく質などの刺激により塊が出来る。
最終的にフィブリンが生まれ凝固する。
それが血管に詰まり脳梗塞など死にいたる時もある。
他のウイルスワクチンでも血栓が出来た事例は珍しいわけではない。
然し、それが良くある事でもそう考えてはいけないのが命を守るものの務めだ。
「改善してという事にはならなかったんでしょうね。」
四駄の住民愛が逆に人を死なせる事になってしまった事に、積田はそれが行政側から周囲に口を開けなかった理由だろうと、食い下がった自分を悪人だとも思った。
それと同時に正義の心がウイルスに対する反撃を求めている。
心の中には「それでもやらなければならない。」と天命を全うするべく本能が湧きあがった。
「袴田さんどうですかご気分は」
APW+CHWワクチン接種後24時間が経過した。
《《媒体》》は順調に回復していった。
新種ライノウイルスは蛋白質との結合を拒絶されると消滅が早かった。
袴田の身体からは抗体が検出された。
「良い目覚めです。」
袴田の照れの無い笑顔に坂柵と研究員の帆高、馬嶋はついつられ笑いを返した。
その脇で無表情の積田が四人に水を差す形で緊迫感のある言葉を入れる。
「もう少し期間を開けて袴田さんの様子を観察して血液検査を徹底しましょう。」
坂柵以外の研究者たちは不満げに笑顔を閉じた。
坂柵は、積田の言葉に医学脳が反応した。
「副作用ですか。」
坂柵に読み取られる事も積田は計算付くだ。
彼はまだ、増宮の話はしていない。
いや、言い出せないでいる。
坂柵は積田の行動や、帰ってからの表情を見て何かしら強烈な出来ごとに遭遇している事は医師の経験から読み取れていた。
顔の表情で診断が出来るのは大部分の医師に有りがちだ。
坂柵は何も聞かず「そうしましょう。」と一言言った。
普通の医者であれば情報を得ようとする。
しかし、一蓮托生で四駄郡を守ってきた医師同士の信頼はお互いに求めなくても崩れる事は無いと信じていた。
袴田たちは二人の間に入る事が出来ずただ頼るのみだ。
治験開始から10日が経った。
毎日一回のウイルス検査と血液検査、血流スコープによる血栓の確認。
これでもかこれでもかと積田は何かに憑かれたように検査を行いデータ化していく。
肩をいかり上げた積田に坂柵は「結果は出ているようですよ。」と救いの言葉を投げかける。
積田は落ちた顔つきで坂柵を見上げた。
坂柵も検査方法から血栓だと悟っている。
彼は、慰めるように言った。
「私達は人間です。人間とコンピューターの違いお忘れですか。私達が急を要しているのは免疫を全ての人々に持たせることです。免疫を持つ事で二度は無いのです。赤ちゃんだけは母親からへその緒を伝って、中和抗体により免疫を持っても、半年でワクチンが必要ですが。」
一拍置いて坂柵は続ける。
「今までに私達が出来たのは対処療法しかなかった。それが二度目を止めたとなれば正解と考えるのが必然的です。」
積田は又心を落とされた。
「そうです、人間は間違える事で学習する生き物です。同じ間違いを犯しても犯しても繰り返し学習する、その結果が人間世界の現実なのです。」
坂柵に言われ積田はそんな当たり前の事も見失っていた自分が哀れに思えてきた。
「さあ、ウイルスバスターを始めますか。」
坂柵の冗談に研究に入ってから初めて五人ともが大笑いした。
研究、治験結果を高山南病院経由で全国土に配信し、APW+CHXワクチンの接種が各国で始まった。
高山南病院を通す事でより安全性の確認ができ、信用の高い佐美恵が中心になる事で他の病院も安心してワクチンを使う事が出来る。
IT企業ではあるが積田の経営者としての手腕を発揮したという事だ。
四駄化学共同研のサンプルは陸海空で輸送した。
このワクチンの強みは常温保存と振動に強い所だ。
接種は継続的に打たなければならないが、その期間は2年に一回程度と抗体の強さを示している。
それが可能なのはAPWが一度の接種で長スパンの効果が継続する事実にある。
注射の種類は命にかかわる危機的な状況を考え、体内の循環スピードを優先し静脈内注射を勧めた。
だが、また新たな問題が生じる。
都市部の医師が足りない・・・
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