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ステーキくらい高い抗がん剤を飲んで死んだ僕の祖母


1

レストランで会計を済ませた祖母が別れ際に、

「おばあちゃん今ね、ステーキくらい高い抗がん剤を飲まんといけんくてね。しかもこれ、何年も続くらしいんよ。」

と、当時小学5年生だった僕に向かって言ったことがある。
いつもは朗らかな祖母の表情に疲れと陰りを感じた僕は、上手く言葉が出せなくて、
「そうなんだ」
としか言えなかった。

晩年の祖母との何気ない会話。

あの時おばあちゃんは何を僕に伝えたくて、僕は何と言えば良かったんだろう…。

薬剤師になった今でもふと頭をよぎる、ほろ苦い祖母との思い出だ。


2

当時、僕の家から車で30分くらいの距離に住んでいた祖母とは、週末よく一緒に外食に出かけた。スーパー銭湯にもよく連れてってもらった。

その日も、みんなでレストランに外食に行き、僕の家族全員分含めた食事のお会計を祖母がしてくれるという、いつも通りの平和な週末だった。

薬にお金をたくさん払わないといけないなら、その分外食に行ける回数は減るだろうな。
子供の僕にもそれくらいは察しがついていた。


3

祖母は享年65歳と、比較的若く亡くなった。

母曰く、祖母は本当にステーキとかお寿司とか、とにかく外食が大好きな人だった。らしい。

脂っこい、塩辛い、糖分多めの食事を、祖母は頓着なく食べるきらいがあった。そんな一般的に悪いとされがちな祖母の食習慣を、祖母の病気の原因として母は殊更によく挙げる。

たしかにぽっちゃり体型で、食事の前に自己注射をしてたこともあったっけ。

おばあちゃんの作る料理は母のものより味が濃くて、僕は結構好きだった。


4

僕は中学生になり、急に背が伸びた。

その頃祖母に会うたびに「大きくなったねえ」と嬉しそう言われた。
逆に僕は、会うたびに痩せていく祖母の様子を見て心苦しい気持ちが毎回のようにあった。

その頃、祖母の癌は徐々に進行し、肺や脳に転移していたのだ。放射線治療や手術を何回かしたことも母から聞いていた。

そしてついに母から僕は、祖母の余命があと半年くらいであると聞かされた。

祖母の余命があと半年であると聞かされた日の夜、僕は1人自分の部屋で、めちゃくちゃ泣いた。

まだ60歳台で普通に喋れてて、前より量は少なくなったけどご飯も食べられてて。そんな祖母が死ぬということに納得がいかなかった。

悔しくてネットで、「がん 治療法」とか「がん 余命」とか夜通し調べた。

5年生存率が〇%だとか、実際に余命宣告された人のこととか、新しい治療法が〜とか、あったけど、どれを見ても祖母が生き続けられると安心させてくれる根拠にはならかなった。

僕は半年の時が経つのが怖くなった。


5

余命宣告を受けてからも祖母は少しなら動けたので、軽く旅行したり、外食したり、家族の思い出を作ることができた。

それでも祖母は明らかに衰弱してきていて、死ぬ1ヶ月前くらいから緩和ケア病棟に入院することになった。
僕も中学校のことで忙しかったりはしたけど、何回か病棟に会いに行けた。

死ぬ1週間くらい前に会ったのが最期だったと思う。

その時には既に祖母は肩で息をしている感じだったから、大した会話はできなかったけど、祖母は何かを悟ったかのように、一つ一つ混じり気のない純粋な言葉を発していたように記憶している。死ぬのは全く怖くなさそうで、確実に僕との空間を生きていた。

後から聞いた話だけど、おばあちゃんはその日、コンビニの冷やし中華を食べたいと言って、僕が来るまでにペロリと食べたらしい。

それまでの数日間、病院食をまともに食べてなかったのに、僕がお見舞いに来ると聞いて、看護師の人もびっくりするくらい食べたらしい。

僕は衰弱していく祖母をただ近くで眺めていることしかできなくて、ずっと祖母が死へ向かう恐怖と自分の無力さを感じていたけど、そこでようやく自分も祖母の力になれていることを知って心の整理ができた。


6

僕は祖母が死んで何年か経った後、薬学部に入学した。そこで一通り薬について勉強した。今は薬剤師としても働いている。
だから、抗がん剤とかそういう内容になるとよく冒頭の会話を思い出す。

祖母はいったいどんな抗がん剤治療をしていたんだろうか。
エスワンタイホウだろうか。フェマーラだろうか。
当時は全く治療薬に興味を持ってなかったから今更分からない。

そういえば肥満は乳癌のリスク因子だったっけ。ステーキを美味しそうに食べる祖母が今目の前にいたら、これまで勉強した知識は何か役に立つのだろうか。


7

今日も薬局に祖母くらいの年齢の方がいらっしゃった。

いくつか質問したり薬の説明をしたりするけど、どこか上の空。「で、薬の代金はいくら?」とぶっきらぼうな返答があるだけだ。そりゃそうだ。薬を貰いに来てるんだから元気ではないはずだ。

会計時、アクリル板越しにちらりと見えたスマホの待受には、可愛らしいお孫さんらしき子供の写真が設定されていた。「可愛いらしい写真ですね」と言うと「そうでしょ」とマスクしてても分かるくらいの笑みがこぼれた。さっきまであんなに元気なさそうだったのに。

叶わないなと思う。

薬を飲むことや薬の知識というのは、元来その程度の力しかないのかもしれない。

大人になった今、闘病中の祖母に声をかけるとどうなるだろうか?
やっぱり薬はステーキぐらい高いし、祖母が連れてってくれるステーキは格段に美味い。


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