この本を推したい2020

ブラックジャックの解釈学という本がある。

ブラック・ジャックの解釈学 内科医の視点 | 株式会社 金芳堂 https://www.kinpodo-pub.co.jp/book/1828-0/ | 株式会社 金芳堂

といってもただのファンブックでも、分析本でもない。内科医の視点と銘打たれているように、この本を出版した金芳堂というのは医学書の出版社であり、れっきとした医学書だ。

書店には本の発注を促すメールやFAXがひっきりなしに届く。勿論、この本のFAXも届いた。以前、ツイッターで呟いたことがあるが、金芳堂の新刊案内は煽り文句が面白くて私は好きだ。それに加えて時々、おっ?なんだこれという本を出す。なのでこの『ブラックジャックの解釈学』という新刊案内も当然、目を引いた。なにしろロゴの力が強かった(記憶が間違ってなければ、BLACKJACKという黒い文字に縦線が入っているロゴだった)。しかもあの國松先生が書くという。

國松先生はこの春に新刊を五冊刊行され、そのどれもが重版となった医学書界のCLAMPとも言える方だ(でもCLAMPはひとりじゃないので、もっとすごい)。

だが、これは前述の通り、れっきとした医学書である。出版社のサイトの冒頭にも書いてある。だからただの医学担当の書店員が読んでも、内容なんてちんぷんかんぷんなのではと思ったが、長年のブラックジャックファンとしては買わずにはいられなかった。そして読んで確信した。やばい。まだ上半期なのに自ジャンル2020年ナンバーワンの本がきてしまった。一般の人に敷居が高い医学書だろうが関係ない。もう今年は、ずっとこの本を私は推す。決めた。

とにかく面白いのだ。医学の知識なんてなくてもいい。いや、医学の知識があれば何倍も面白いのかもしれないが、ブラックジャックを読んでいればなんの問題もない。なぜなら、既にブラックジャックを履修していることで最低限の知識はあるのだ。でなければ、全身性エリテマトーデスなどの病名は普通に生活する上で頭の中に入ってきやしないだろう。

この本はブラックジャック内の23のエピソードを取り上げ、國松先生が現代医学に照らし合わせて再診断するという作りになっている。だからといって、今だったらブラックジャックの診断は間違いとか、私ならこうするとか揚げ足をとるようなものではない。確かに手塚治虫はこう書いているが、こっちの病名があてはまるのではないかという記述はある。しかしそれは否定するというよりは、裏の意図を読み取るものであったりするので、なるほどと更に理解が深まるものが多い。要するに読後が爽快なのだ。これに尽きる。それとブラックジャックという漫画の根底に流れる苦味も所々で押し寄せる。

そもそもブラックジャックは医療漫画といっても創作であり漫画だ。いくら手塚治虫とはいえ、たとえ医師免許を持っていたとしても、漫画なのだからストーリーの展開に合わせて、架空の症例をでっちあげてある程度都合よく描いていると私は思っていた。

だが、この本を読むとその考えは払拭される。ただの霊的な話だったと思っていたものも、ちゃんと國松先生の再診断によって症例的に説明がつく。もっとも、全部が全部、そうでだとは言わない。意地悪な言い方をすれば取り上げられた23のエピソードに限っては、の話かもしれない。

だとしても、すごい。なにがすごいかというと、手塚治虫がこれを週刊連載していたということである(途中から不定期連載ではあったが)。しかも、ブラックジャックはひとつの症例を何話にも渡って書くものではない。その上、これが1970年代、今から50年近く前に描かれた漫画だということである。

ブラックジャックが連載される前の数年間、手塚治虫は不遇の時期であった。そんな中、当時の編集長に持ちかけられ、描いたのがブラックジャックだ。その連載を開始する前に神保町の書店を歩き回って分厚い医学書を三冊買ったというが、当然その三冊だけで到底書けるものじゃない。おそるべしは手塚治虫の頭の引き出しの容量である。その凄さと常軌を逸した天才ぶりが『ブラックジャック創作秘話』にいくつものエピソードとして描かれているのだが、あの記憶力の凄まじさがあれば、実際に医学を学んでいた知識と新たに加えた知識を元に、週刊連載は可能だったのだろう。やはり神は神なのだ。

ブラック・ジャック創作秘話 手塚治虫の仕事場から | 秋田書店 https://www.akitashoten.co.jp/comics/4253132391

さて、話を國松先生の本に戻そう。読後が爽快と前述したが、その最たるものが『本間血腫』の章だ。とにかくこの章が熱い。なんといっても章のタイトルがいい。『本間先生の仇をうつ——”本間血腫の正体に迫る”』である。NHK特集のタイトルになるくらい強い。むしろ作って欲しい。

ネタバレになってしまうので内容には触れないが、本間先生のそしてブラックジャックの無念に共感した人は是非この章を読んで欲しい。ブラックジャックが現代にいたらこう言ったであろうという台詞が格別にいいのだ。いや、この章だけじゃなく、読んで欲しい章はいっぱいある。綿ふき病なんて、そうきたかと驚く。だから全部読んで欲しいし、その前に買って欲しい。

この本は現代医学での再診断によって、病名がつけられるだけでは留まらない。ブラックジャックの言わんとしていること、ストーリーの裏に潜まれた意味、ひいては手塚治虫が訴えたかったことまでもが、國松先生によって推論されている。つまり子供の頃、授業中にクラスで回し読みしたBJがこんなに深いものだったと思い知らされる本なのだ。

そして、ブラックジャックが、手塚治虫がこの本を読んだらどういう反応をしただろうかと思う。50 年後になんてフェアじゃない!とふたりともヒョウタンツギになってそうだが、手塚治虫は負けず嫌いな男である。きっと読んだ後、黙って本を置いて部屋に籠り、半日後には新作の原稿を突き出してくる。そんな気がしてならない。

最後にもう一度繰り返すが、『ブラック・ジャックの解釈学 内科医の視点』は医療関係者じゃなくても、ブラックジャックを読んだ人であればじゅうぶん楽しめる。だから是非、ひとりでも多くの人に手に取ってもらって、私が感じた爽快感と苦味をわって欲しい。

そしていつの日か、國松先生のプロフィールにブラックジャックで博士号を取ったと記載されるのを私は待っている。

ブラック・ジャックの解釈学 内科医の視点 | 株式会社 金芳堂 https://www.kinpodo-pub.co.jp/book/1828-0/ | 株式会社 金芳堂 

(一部敬称は略させて頂きました)



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