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知識をなぞる

図鑑を読むのが好きだった。

私には兄弟姉妹はいない。外で友達と遊ぶようなアクティブな子供でもなかったので、家で本を読んでばかりいた気がする。でも絵本や児童書を読んだ記憶がほとんどない。なぜなら、うちにはそういったものがほぼ存在しなかったのだ。

代わりにあったのは箱入りの古典から近代までの文学全集、そしてやや古びた図鑑だった。

それらが玄関の横に鎮座していた重厚な本棚に収められていた。誰の持ち物だったのか、誰が買ったのかは知らない。読みなさいとも読むなとも言われなかった。
今にして思えば、巧妙な罠である。他に読むものがないのだから、まあ必然的に手は伸びる。一度くらいはその本のどれかを取り出して見てみようという気になるのを、大人たちは狙っていたのかもしれない。

とはいえ、文学全集は全く興味すら抱かなかった。仕方がない。小学校に入学する前の幼児である。

でも、図鑑は違った。まんまとハマり、気づけば一日中図鑑を読んでいた。しかも読むだけではなく、その内容を絵から文までスケッチブックやノートに書き写していたのだからびっくりするくらいの勉強家である。いや、私が親だったらこの子ちょっとやべーなと思う。

幸いなことに、私のまわりにいた大人たちはやべーなとは思わなかったらしい。だからといって、すごいと褒めることもしなかった。私が読んでいる内容について、彼らが持ち得ている知識の横槍をしてくることもなく、完全に好きなようにさせてくれたのである。

完全に図鑑と私のふたりきり。蜜月であった。

その結果、図鑑に載っているほとんどの昆虫や恐竜、動物を見ないで描けるようになり、幼稚園で男子にもてはやされた。山にいけばこれはなんの花、これはなんの木と名称をずばずば言って、たまにやってくる親戚のおじさまおばさま方から神童呼ばわりされた。私の人生史上、最大のモテ期である。

しかし、栄枯盛衰、時の流れは残酷だ。

しばらくもしないうちに手にしていたものは図鑑ではなく、ドラえもんになった。そしてすぐにチャンピオンやジャンプになり、さらにはSFや推理小説になり、新たに得た雑多な情報に押し流された。まわりの大人たちも漫画に心変わりをしたことをとやかく言わなかった。その結果、小さい頃は物知りだったのにねと、それから随分とネタにされる羽目になる。ほんとにしつこいくらいに言われた(今でもたまに言われます)。

確かに、もうハルジオンとヒメジョオンの区別もつかない。シジュウカラとゴジュウカラもだ。そういえばブロントサウルスはいつの間にか名前が変わっていた。


ところで昔の図鑑は今と違って全ページフルカラーではなく、後半部分に一色刷りの文字がほぼメインのページがあった。

そのページが、私は好きだった(※うちにあったのは上記のサイトで紹介されている図鑑より、もう少し後に発行されたものです)。
勿論、理解なんてできるわけがない。なのに、それをひたすら読んでいた。鳥の種類ごとの羽の構成図や、パスツールの自然発生説の否定実験が好きだったし、プラナリアの再生図には興奮した。バンアレン帯(ヴァン・アレン帯)やニュートリノなど語感のいい言葉を好んで、拾い読んでは諳んじてもいた。やはり変な子供である。大丈夫かな。

もっとも前述の通り、新鮮な脳細胞が勢いよくそれらを吸収しただけで、その後あっけなく押し流され、発展することはなかった。残ったのは絵や単語などの断片的なものと、子供の頃に飽きもせずに夢中になって図鑑を読んでいたなあという思い出に過ぎない。
でも確かに間違いなく『それ』は楽しかったのだ。ページがバラバラになるくらい読んでいたのだから。


そして大人になってかなり経った今、また私は子供の頃に楽しんだ『それ』を味わっている。書店勤務になり、理工書、そして一年後に医学看護書の担当にもなったのがきっかけだった。

専門書に囲まれて私は実のところ、わくわくしていた。知識もないのに果たしてやれるだろうかという不安よりも、好奇心の方が優っていた。


目の前に、周りに私の知らない知識があるということに。
子供の頃、得たであろう知識の延長があるということに。


これは売りたい本!と面陳にしながらうずうずしてしまう。その面陳が削られるたびに、いやいや私も読みたいんですけど?となる。

結果、担当している棚の本が一冊、また一冊と自宅に増えていったのだった。推したい本=読みたい本でもあるから、必然である。

が。

正直、理解なんて追いつくわけがない。だって、専門書だもの。医学に至っては皆無に等しい。


例えば、先日発売されたDr.ヤンデルこと市原真先生の新刊『Dr.ヤンデルの病理トレイル 「病理」と「病理医」と「病理の仕事」を徹底的に言語化してみました』

こちらはまさにガチの医学書だ。序文でヤンデル先生は「これまで培ってきたであろう知性を全て使って本書を必死で通読して欲しい」と書かれ、書き手である自分に対しての檄文だとも続けている。

それを医療従事者でもなんでもなく、ただの医学書担当が読むなんて無謀の極みである。必死になる以前の問題であり、最後まで読んだものの読み取れたことはほんの僅かだ。そのほんの僅かですら正しく読み取れているのかはわからない。

そしてもうひとつ。こちらも先日発売されたばかりの國松淳和先生の新刊『オニマツ現る! ぶった斬りダメ処方せん』

(hontoだと倒置法じゃなくなってますねタイトル)

こちらはかなり読みやすい。なにしろ國松先生の別人格であるオニマツ・ザ・ショーグンのお陰でどんどん読めてしまう。読めてしまうが、薬剤師の勉強をしたことがない私が読み取れることなんて、やはりほんの少しだ。

でも私はどちらの本も、楽しんで読めたのは確かなのだった。理解が及ばずとも、時折感じる気づきがそうさせる。以前読んだ本たちが、その中のフレーズが、単語が、線で繋がっていることを発見する。それは知性と知性の結びつきと言えるものであり、たいそう面白い。

それに全てを理解できなくても、言い方は悪いがつまみ食いをするように楽しめるところがいくつかあった。

たとえば、ヤンデル先生の『病理トレイル』では手術検体の診断のところ。それと、索引。あとクリニコパソロジカルカンファレンスって呪文みたいで舌触りがいい。國松先生の『オニマツ現る! ぶった斬りダメ処方せん』は、とにかくオニマツ・ザ・ショーグンの言葉選び。フォント選び。見覚えのある薬の名前。食後だと時間バラバラになるんだよねえ。やっぱり索引。ふたりとも索引。なんで索引。


こんな楽しみ方はダメだろうか。読み手が理解して噛み砕いて、腹の中に落とし込んで、新たなものを生み出すことが書き手としては本望だろう。その本望からは完全に外れている。申し訳ないとも思う。思いつつも、私はまた手を伸ばす。

本は知識を得る道具ではある。だから専門外の自分が理解できないものを読んでもと、つい二の足を踏んでしまいがちだが、そこから全くなにも得られないわけでもない。なにも楽しめないわけでもない。書き手の思考のプロセスや言葉遊びを楽しんだり、極端な話、装丁デザインだけに注目してもいい。本の装丁は奥が深くて、作り手の情熱の塊だ(※装丁の話をしだすと止められなくなるのでこのへんで)

挑もうとした壁がなんの足ががりもなく、爪もひかっけられなくても、ひやりとしたなめらかな感触は指先に残る。近づけなくても遠目で積み上げられた知識をすごいなと眺めて思うだけでもいいと思う。


幼い頃の私は覚えようと思って図鑑を書き写していたわけじゃない。あれは知識をなぞり、拾い上げるのが楽しかったのだ。それがなにものなのかわからないまま。突き動かしたのはただの好奇心であり、私の原体験ともいえる。後になってその記憶のそれぞれが線を伸ばし、時を超えて新たな知識へと結びついていくことは、ちょっとした感動だ。


今も同じことをしている。
書き写しはしないが、読むことでその輪郭をなぞり、知性のほんの上澄みをすする。

その奥深くにある甘美であろう知識を想像して、私の喉はごくりと鳴る。

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