あとがきと、プレイステーション0についてちょっとだけ 幻に終わった対任天堂共同戦線 セガ&SCE

お疲れ様でした。

今回の創作部分は皆様お気づきの通り、SFCのCD-ROM拡張機器プレイステーション0周りなのですが、ここについてお話するまえに少しだけ脱線させてください。

Twitterのほうでもちょこっと触れたんですが、Pixiv百科事典のNintendoPlayStationの項目なのですけれども。

ここの記述がだいぶ間違っているというか、完全に断言しちゃっててびっくりしました。ちょっと色々とツッコミをいれていきます。

この時のノウハウからプレイステーションが誕生した。

誕生していないです。このプレイステーション0と、プレイステーション1とは全く別のマシンです。私の過去の記事にてちょっと突っ込んでいますが、そもそもの思想が別なのです。

それにノウハウがないからこそ、今回のセガとの共同研究会に至ったわけですからね。

実はCD-ROMドライブには32bitグラフィックスチップを搭載する予定であり、当時の任天堂はこれを利用して3Dゲームを作ろうとしていた。
しかし、スーパーFXチップによってCD無しで実現してしまい、任天堂も次世代機の完成目途が立てばCD-ROMアダプタの存在意義はなくなる旨の発言をしていた。

この記述もフィリップス製SFC用CD-ROMのことがあるので、ちょっと変なんです。3DがしたくてCD-ROMを導入した、だけどCD-ROMなしでも3Dができるようになった、ですと、なんのためにフィリップスと提携したのかわからなくなります。高騰していたマスクROMが安くなってCD-ROMの利点がなくなってしまった……なんてことはあるのかもしれません(実際にどこまで安くなったのかはわかりませんが)。

この幻のプレイステーションはオークションで競売にかけられ、SCE設立者によって36万ドル(日本円にして約3800万円)で落札された。

落札したのはSCE設立者ではありません。ビデオゲームコレクターのグレッグ・マクレモアさんです。プレイステーション0を所有していたと思われている人がSCEアメリカの創設者の一人だ、ということですね。

上記の権利関係に加えて、ソニーが独断でソフト開発をしたことも契約破棄の一因と言われている。
ソニーはハード開発のみを行う契約だったが、自前のソフトを無断で開発して実演していたという。これは立派な契約違反であり、それを知った当時の任天堂社長の山内溥は激怒した。

これは元々の記述が日経新聞なんですね。こちらの記事です。

1990年代初頭、ソニーと任天堂はPSの原型となったゲーム機を共同開発する計画を進めていた。だがハードのみを担当するはずのソニーが自前のソフトで試作品を実演したことに当時の山内溥社長が激怒。共同開発はお蔵入りになった。

ところがこの話、ちょっとおかしいんです。「ソニーがソフトで試作品を実演したことで山内社長が激怒」という話は、2010年のこの日経新聞の記事でいきなり登場してきたもので、当時の業界本には私が記憶する限りでは見つかりません。これほどわかりやすい理由ならば任天堂側の弁護材料として広く流布しそうなのに。いったい日経新聞はどこからこの説を持ち出してきたんでしょうか。

そしてもう一つ、「ゲーム産業白書Decade」にて、元SCE社長丸山茂雄氏のインタビューが載っています。
そこにはこのような記述があります。

最初の試作ソフトは「フォルテッサ」というシューティングゲームのもとになるような作品です。その後、いくつかソフトを試作したのですが、社内、社外からの評判は芳しいものではありませんでした。見かねた任天堂さんから叱咤激励を受けたほどです。この悔しさが後の糧というか、バネになったと思います。

ゲーム産業白書Decade P15

任天堂、激怒どころか叱咤激励しちゃっています。ソニー側からこういう証言があるので、どうやってもつじつまが合わないんですよね。なので「ソニーがソフトを勝手に作ったので契約は破綻した」という説は日経新聞の勇み足として処理したほうが良いかと思います(まぁこの話はWikipediaにも転載されるくらい流布されているんですが)。


で、Pixiv百科事典ではこのような結論に至っています。

まとめると、「最初は良好に計画が進んでいたが、ソニー側が契約違反を起こしたり問題発言をすると言った裏切り行為を行なったことで、任天堂側が激怒して一方的に契約を切った」と言う所だろう。

尚、この話は「任天堂側がソニーを裏切った」と語っている人がいるがそれは誤りであり、正確には上記のようにソニーが悪いことをして任天堂を陥れようとしたので、任天堂側が契約を一方的に切らざるを得なかったと言うのが正しい事実である。
任天堂が全部悪いというのは偽情報なので騙されないようにしよう。

ソニーが明確な契約違反をしたソースはありません(というか元の契約内容が不明すぎてなんとも)。かつ、任天堂を陥れようとした明瞭なソースもありません。「非常にソニー側が優位な契約であり、ソニー側もそれを喜んでいた」というソースならあるんですが(証言 革命はこうして始まった)、それでも契約は双方の同意を基づいて行ったわけであり、イヤなら判子押さなきゃいいだけの話であって、押した後でごねる理由にはならないわけですよね。

というわけで色々と問題ある記述なのですが、それは私の記事の中も同じことです。一応あり得そうな話として「ソニー側には全く陥れる気はなかったのだけれど、任天堂側が疑心暗鬼になってフィリップスと提携した」という説を披露する形となっていますが、これを保証するソースはありません。ありえなさそうな説を排除して、それっぽい話を作っているだけであって、真実ではありません。これは「任天堂の社長になれなかった男 荒川實」と同じです。ご勘弁くださいませ。

その他の突っ込まれどころ(?)なのですが、相変わらず資料同士が矛盾しており、事実がわからないところがいくつかあります。

ハスブロがゲームハードを作っており、それが没ったためにデジタルピクチャーズ社が立ち上がった……というのは事実として間違いないのだろう、といえるのですが、権利関係がわけがわかりません。「デジタルピクチャーズ社が権利をハスブロから買った」という話と「ハード計画がご破算になったおかげでソニーがゲームの独占権を1990年のデジタルピクチャーズ社立ち上げ前に買った」という話がでてきて、はたしてどっちなのやらわかりません。両方をミックスして記事のような説にしました。

また、オラフ・オラフソン氏の肩書きがかなり謎です。SCEアメリカ設立後はソフト部門のトップだったという解釈でいきますが、一部でSCEアメリカ社長だったという記述もあり……。スティーブ・レース氏が退社したあと、一時的にでも社長になったんでしょうか? アメリカでのSCE設立後の組織編成について私が無知なので、ちょっといまいちこれで正しいのか確信が持てません。申し訳ないです。

そんなわけで今回の記事は、大筋では事実ベースを追ってはいますが、海外や任天堂のCD-ROM周りに関して想像で穴埋めしてテンポを補った形になっています。セガ周りは証言がはっきりしているので脚色っぽく見えるのに事実ベースです。

それでは皆様、また次の記事でお会いしましょう。


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