任天堂の社長になれなかった男 荒川實 あとがき

長々とお読みくださりありがとうございます。お疲れ様でした。


まず謝らなければならないのですが、肝心要の荒川が辞めた理由と辞めた一連のくだりは完全に私の創作です。山内社長が直に茶を淹れたなんて事実は確認できませんし、なぜ辞めたのか理由を荒川社長は一度も公言していません。また、スーパーファミコン拡張機器CD-ROMが破談になった理由も私の想像で補っています。こういうとあれですが、おそらくゲームオーバーもかなりの部分を創作に頼っていると思います。序盤部の婚約許可のくだりはかなり怪しいと思っています。

細かな補足をいれますと、そもそも岩田社長は2000年に任天堂に入社し、経営企画室長として就任しました。現任天堂社長古川社長もこの経営企画室長を経て社長に就任しているので、この時点でもう次の社長は岩田だ、と山内社長は決めていることがわかります。同時にNOA関連もNo2のリンカーン(2000年に退任)や、メーン(2002年1月退任)といった実績ある役員を退任させ、彼らと入れ替わる形で君島社長がNOAの社長に就任しています。このときの君島社長は、2000年に銀行から山内社長に引き抜かれ、株式会社ポケモンの取締役に就任したばかりです。なので「自分の引退と同時に新しい体制へと移行し、岩田社長が動きやすいようにする」というのが既定路線だったと予測できます。このときの荒川と山内とがどのように話し合ったかは全くわかりません。なので思い切り創作に吹っ切りました。申し訳ない。


拡張機器版プレイステーション云々のゴタゴタについては別記事にて書く予定です。が、これもかなり創作が入ったものにならざるを得ないので、仮名の小説スタイルをとります。全力で創作します。


毎週金曜日更新を心がけていましたが、おかげでかなり切羽詰まってキーボードを叩く日々でした。とても楽しかったです。この次の金曜日には「なぜスーファミ時代、新作ソフトは三割引だったのか?」を上げる予定です。

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