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Gallery 幻「おやすみなさい、わたし 第1.5回 memento mori」出展作品に寄せて

このテキストは2019年1月12日-26日、東京都文京区千駄木「gallery 幻」で開催される展示「おやすみなさい、私 第1.5回  memento mori」に出展した2点の作品へ寄せた香辛料のようなものです。作品を鑑賞する前後に読むと味わいに変化があるかもしれません。かけすぎにはご注意を。


「Christmas Dream」

2012年12月。

東京都現代美術館「アートと音楽 新たな共感覚をもとめて」展でクリスティーネ・エドルンド「セイヨウイラクサの緊急信号」という作品を観た。

http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/138.htmlより引用

セイヨウイラサラは葉を虫に食べられると、そこへのエネルギー供給を止めて根に蓄える。その際に分泌する物質やストレス信号を、音やイメージに変換した作品で、会場では実際にその音楽やドローイング、映像なども展示されていた。

私はそれを観た時、改めて植物は生きているのだと感じた。小学校で習う当たり前の事なのだが、公園で遊ぶ子供達、散歩している犬、その足元に生えている草、街路樹……それらが全て等しく生きているという感覚は得れていなかった。

もちろんクリスティーネ・エドルンドの作品はそういった事を訴えかけていたわけではないが、私はそのように「誤読」し、その日から植物に対する認識は変わった。

東京から帰り、アトリエのデスクに座る。

出窓にチューリップの一輪挿しがある。たしか被写体の方から頂いたものだ。私は制作の傍ら、その花を眺めていた。

ある日、花びらが1枚落ちた。少しずつ縮み変色してゆくそれを観ていると「誤読」した日の感覚が蘇り、私は仏教絵画の九相図を描くようにその命の向かう先を記録した。

花の名はクリスマスドリーム。聖夜に咲く誠実な愛の花。


「67」

この作品はテキストと対になった作品なので制作エピソードは割愛。

人は2度死ぬという話を聞いたことがある。

1度目は肉体が滅んだ時。
2回目は全ての人に忘れられた時。

インターネットで世界中に拡散されて増殖し続けている写真は情報を少しづつ欠落させ、そこに新たな物語を埋め込まれて人々を魅了してゆく。

私は彼女を知っている。だがインターネットで「誤読」された彼女を知らない。

私を含む全ての血族が死んだ時、この世に残る彼女は誰なのか。

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