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自己完結する自分の課題

自立することで多くの人の手を拒否している

いつからだろうか。
私は人生で起こる様々な出来事に対して、自己完結するようになっていた。
他人の意見を聞こうとせず、自分で答えを導くようになったのだ。

しかし、最初は他人に相談したくてもできない、落ち込みやすい人間だった。
相談する勇気がないため、人に聞くことができなかった。
そのため、悩みがあると、自分でモヤモヤ考える癖がついていた。
この自分で考えたことが、モヤモヤではなく、納得できる答えに変化したのは、考え方の変化によるものだった。

きっかけは、人生を楽しめるようになったことだ。
楽しめるようになってきたのは、20代に入ってからだった。
自分自身に起こる出来事が、他人事のように感じてきた。
ワイドショーやネットニュースの話題がいつも事欠かないのは、多くの人にとって、他人の不幸は楽しいものだからだ。自分よりも不幸な人がいると、安心するのだろう。
私も例外なく、他人の不幸は楽しかった。

他人事に感じると、メンタルが強くなる。
自分事ではなく、他人事になると、人生を客観的に見ることができ、目の前の出来事に一喜一憂しなくなる。目の前のことに振り回されないと、少しのことでは動じないため、心のバランスが保ちやすくなるのだ。

この考え方のおかげで、例えば面接など、人生を左右するような場面でも、私は比較的緊張しなくなった。
緊張しなかった理由は、「この面接がすべてではない」と思って望んでいるからだった。
「この道以外にも道はある」と考えると、ゆとりが生まれ、心のゆとりが人生に余裕を持たせてくれる。
だから私は、今でも面接で落ちたことがない。

私が子供の頃は、極度の緊張しいだった。
音楽の授業ではクラスメイトの前で歌うことができず、国語の授業では音読も緊張して声が震えていた。
クラスメイトだった好きな子は、人前では堂々と話せる子だったため、自分がこんな風では、好きな子に嫌われると思った。危機感を持った私は、緊張体質を克服する方法を考えた。
「観客は全員カボチャだと思え」
そんなアドバイスをもらったが、全く効果がなかった。人をカボチャだと思うなんて、無理がある。こんな方法で人前で話せる人なんているのかと、疑問に思ったほどだ。

しかしある時、中原中也の『サーカス』という作品を読んだ。
するとそこには、「観客様はみな鰯(いわし)」と書いてあった。
サーカスの空中ブランコを見ている人々を、比喩表現でイワシと書いているのだが、全員が同じ方向を見ることを的確に表現している。これを言うなら、テニスの試合などもそうだろう。ただ私は、この中原中也の作品を読んで、人生が面白おかしいものだと思うようになった。

中原中也が観客をイワシと例えた比喩を見て、それなら、前で演技を披露しているのは、サーカスのピエロのようなもの、つまり“道化師”ではないかと思ったのだ。
こう考えたら、急におかしくて笑い出しそうになった。
道化師が空中ブランコを披露しているものを、イワシたちが皆でリハーサルでもしたかのように同じ反応をしている。
なんて滑稽なんだろうと思ったのだ。そして同時に、イワシを客観的に見る余裕が生まれたことにより、道化師を客観的に演じれるようになった。
「今、人前で話しているのは、私であって、私ではない。演じている道化師なのだ」
そう考えられるようになったのだ。

道化師の感覚は、人前で話しているときに限らず、人生全体に及んだ。
人生を演じているのだと、感じるようになったのだ。
このような感覚は、私を私の中から引き剥がすことに成功した。
自分の中に囚われていてた自分自身を、自分の中に入れたり、出したりできるようになったのだ。つまり、主観的にも、客観的にも考えることが簡単にできるようになった。

主観的な自分と、客観的な自分の会話は、こんな感じだ。
「今、自分としてはかなり辛い。逃げ道がなく限界を迎えようとしている」
そう考える自分がいる。しかし、一方で客観的な自分が
「今、自分は苦しいと思っているし、逃げたいと思っている。これは逃した方が精神的に追い詰められて切羽詰まった状態を回避できるかもしれない」
などと、冷静に客観視している自分を持つことができるようになったのだ。

このような考え方を持てるようになったため、自分で解決に導くことが可能となった。
自分の中で、塞ぎ込んで考えるのではなく、他人に聞かなくとも、自分の納得する答えが導けるようになったのだ。
それによって、今度は新たな問題が発生してくる。
「自己完結しないでください」
そんなことを言われるようになった。
自分で問題を解決できるようになることで、他人に相談しなくなった。
肯定する自分と、否定する自分が勝手に話し合って、『自分なりの答え』を導いてしまう。だから、人に相談するようにしたが、相談するときには、もう自分の中で答えは決まっている状態なのだ。

人生を楽しめるようになったことは、大変いいことだと思う。
しかしそれによって、他人に甘えることができなくなってしまった。
自分で納得する答えを導き出せる、私たちが『自立』だと思っている状態は、決して周囲にいい影響を与えない。
自己完結できるのならと、周囲の人は離れていくようになってしまうのである。

私はこれから、もっと甘えられる自分を形成していかなくてはいけない。

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