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他者依存の正体は一本の柱

自分が生きることと他者


他者によって生かされてきた

「他者依存だね」
友人は私の話を聞いてそう言った。

私は他者に依存して生きてきた。
これは自身でも自覚のある、紛れもない事実だ。

他者依存と聞いて、どう感じるだろうか。
私は、決して良いイメージを持たなかった。
他者に依存するということは、他者に頼る、他者に委ねる。
そういうイメージだったからだ。

自分では判断しない。というよりもできない。
そんなイメージが付きまとう。
「どっちが良いと思う?」
こんな質問を繰り返すのが、他者依存だと思っていた。

「他者依存だね」
そう言われて気づいた。
私は他者がいなかったら、もうこの世にはいなかった。
他者がいたからこそ、自分の存在を消してはいけないと思ったのだ。

これには驚いた。
自分の中では完全に『良くないもの』だと思っていた『他者依存』が、生きていくには欠かせないものだったからだ。

母親がいなかったら、とっくにピリオドを打っていた。
母親とは離れて生活していて、生きているのかもわからなかったが、心のどこかで「母親だけは悲しませたくない」という心理が働いたのだ。

母親には愛情をもらっていた、幼い頃の記憶がどこかにあったのかもしれない。理屈ではなかった。
どうしても母親だけは悲しませてはいけない。
「元気な姿を見せたい」
その一心だった。
“捨てられた”とは微塵も思っていなかった。
なぜだか確信めいたものがあった。

学校や家で嫌なことがあっても、絶対に自分で終焉を迎えることは選択しなかったのは、心の中で信じていたたった一つの柱が存在していたからだった。

「必ず母は迎えに来る」

という柱である。
おそらくこの柱が倒れたら、私は今存在していなかったと思う。
結局は迎えには来なかったのだが、私はこの『たった一つの希望』を信じずに生きることはできなかったのだ。

周りの大人には恵まれた。
「お母さんはもう来ないと思うよ」
そう声をかけられていたら、多分私は小学校の屋上に登っていただろう。

そういうことを言う大人もいなかった。
それどころか、母のことを悪く言う人間はほとんどいなかったのだ。

だから、生きられたのだと思う。
実際には存在を感じることができない『母親』と言うものを、自分の中に存在させていたから、母と会話をしたり、母の笑顔を見たりすることができたのだ。

父は酒癖が悪く、酒を飲んでは私に殴りかかることもあったが、母のことを悪く言うことは一度もなかった。だから、父にどれだけ殴られても、父のことを心から憎むことができなかった。

父のことはそれでも嫌いだったが、度々変わる『継母』も嫌いだった。
生きていくためには継母に嫌われては生きていけないと感じていたため、継母のことを好きになろうと努力したことも要因の一つとしてあるだろうが、継母のことを心から嫌いになれなかったのは、誰一人私の母のことを悪く言わなかったためだ。

必然的に私の周りには『好きではないが嫌いでもない』という人が増えていった。

好きではないが、自分が一人では生きられない。
母が迎えに来るまで、私は元気でいなければならない。
母に余計な心配をかけたくない。

こうした思いはやがて、『他者依存』へと変わった。

自分のためではない。他者のために生きている。
他者が悲しむから、生きている。
悲しむ他者がいなかったら、私は生きている価値がない。

こう考えていった。

他人との関係がなければ、自分が生きていても意味がない。
「自分の葬式には、果たして何人来てくれるだろうか」
というのが、自分の生きる価値だと思っていたため、ことあるごとにその人数を数えるのが習慣化していった。

一人も来ないのに、生きていることになんの意味があるのか。
たった一人でも来てくれるなら、その人を悲しませてはいけない。

その一人が『母』だと思っていた。

母以外、悲しんでくれる自信が自分にはなかった。
「きっと、お母さんなら、僕がいなくなったら悲しんでくれるはずだ」
そう思うことが精一杯だった。

それ以上、自分の中で生きている意味なんてなかった。

「何かになりたい」
そんな将来の夢みたいなものは、何もなかった。

「何かが食べたい」
そんな願望もなかった。ジュースなんて買ってもらえなくて、いつも水道水を飲んでいたが、そんなことを嫌だとは一度も思わなかった。

こうした質問をされたときは、隣の子が言うことを真似していた。
どうでも良かったからだ。
願望なんて、たった一つしかなかったからだ。

「お母さんが迎えに来る日が一日でも早く来てほしい」

それだけだった。
それ以外に願望なんてなく、生きている意味も他にはなかった。

「他者によって生かされていた」

これには二つの意味がある。

周りの大人が、母の悪口や母を悪くいうこともなく、私の面倒を見てくれたこと。

もう一つは……

「お母さんはきっと迎えに来てくれる。その日まで変わらず生きていなくてはいけない。迎えに来てくれたら、笑顔でお母さんを迎えてあげよう。何事もなかったかのように」

そんな思いだった。

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