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スマホから見る世界は正しいのか

ピカピカ光る板を眺めている世界は広いのか

世界は広い。
世界一周をした事がある人にとっては、地球など小さな星に過ぎないと思っているかもしれない。
しかし、宇宙規模で地球を眺めるとき、地球の大きさなど取るに足らないものだろう。
「宇宙人が地球を侵略しにくる」と予言した宇宙学者が居たが、それこそエゴであろうと思う。こんなに小さな星は、見つかるのにも時間がかかりそうだ。

そんな小さな星である地球上の中でも、とりわけ小さな国である日本。
この日本の一角を借りて、私たちは生活している。
本当に小さな世界だ。
月面着陸をした、アームストロング船長であれば、もっと大きな世界を持っているかもしれないが、私たちのほとんどは、小さな世界でその一生を終える。

家と職場の行き来だけで、人生の大半を終えている私たちにとって、宇宙の出来事など、関係のない世界である。
例え、すべての始まりは宇宙からであろうとも、そんなことを考えていても飯は食えない。宇宙のことを知るよりも、今日食う飯の心配をする方が先決である。食えなくては、死んでしまうからだ。

そんな小さな世界の私たちに、いきなり大きな世界が手に入った。
スマホである。
“スマートフォン”という壮大な世界は、人々の生活を一変させた。
この地球上で起こった出来事すべてが、この手の中に入っている。
日本の一角から、いきなり地球レベルの大きさになった。
それによって、万物の始まりであり、すべての始まりであった宇宙のことを考える余裕ができた。……はずだった。

しかし、私たちはこの高性能機器を使いこなすだけの能力が足りていなかった。
当然である。
日本の一角で生きていた私たちは、職場と自宅の往復しかしていなかった。職場と自宅の間に何が建っているのか、くらいなら分かる。しかし、それ以上の世界は存在すらしていなかったのだ。いきなり、馬鹿みたいにでかい世界を手にできても、そんな世界をどのように扱ったらいいのか、わかるはずもない。

当然のように、スマホでやることの大半は、“時間の浪費”になった。
「暇だなぁ」「何か面白いことはないかな」そう言った理由で、スマホの画面を見る。
ここに、能動的な活動はない。
それにも関わらず、見てしまう。これが、生産性を生まない、何の役にも立たないことを知っていながらスマホを見ているのだ。
中には、「仕事で役立てているから、生産性はある」という人もいるだろう。
しかし、それらの多くは、スマホでなくても事足りることだ。
電話や文献、会話や手紙といった手段でも十分に代用できる。
もちろん、スピードは違うかも知れない。インターネットというものは、スピードが桁違いであることは十分承知している。
しかしこれに至っても、ここまでスピードを上げる必要があったのか、甚だ疑問に思う。
例えていうなら、ランニングマシーンに乗って、どんどんスピードを上げていっているように見えてしまう。自分でスピードを上げているのに、そのスピードについて行けなくなって挫折してしていく人が多くいるように見受けられる。
ここまでのスピードは、必要ないのである。

私たちは、本を読む。自分の経験と自分がこれまで得てきた知識とを、その本の内容と照らし合わせて、その中から抽出するべき内容を決めていくことで、その本の内容を学ぶ事ができている。
これは、適切なスピードであり、生きていくのに快適なスピードである。
言うなれば、スマホは『オーバースペック』なのだ。
スペックというのは、“仕様”のことだ。スペックには“オーバースペック”と“ハイスペック”がある。ハイスペックは自分で扱う事ができるが、オーバースペックは自分で扱う事ができない。つまり、余剰価値なのである。
取説のない、高性能電子機器を与えられても、使いこなすことはできない。
でも、タッチするだけで、何でも答えてくれるから便利だ。面白いから使う。
ただ、疑問や難問が出てきた時、スマホで調べる以上の調べ方を知らない人間が増えた。何でも聞けば、『正しい答えを教えてくれる』と信じている。

「誰か知らないけれども、とっても頭のいい人が難問について解説して答えも教えてくれているもの」
そんな情報に溢れていると思っている。
それを調べている自分が、何気なくTwitterで呟いたことや、悪気なく書いてしまったブログの内容が、こうした検索ワードに引っかかって、出てくる情報だという事がすっかりと抜け落ちている。

それに、信じている方が楽なのもある。
「この情報は正しい」と思っていた方が、気持ちが楽なのである。
疑うことによって、他の資料を集めなくてはいけないから面倒臭い。
それに、“この情報”は誰かが信じている情報だから、その誰かにとっては正しい情報のはずだ、だから、私はその誰かさんと同じ意見でいい。私一人の意見ではなく、誰かと共有している情報なのだ。それなら、一人じゃない。

そんなふうに考えて、スマホの情報と向き合っている。
これを繰り返すと、本当に自分の意見が失われていく。
ネットの情報に、本当に疑問を持たなくなり、考えなくなる。
自分が生きている狭い世界のことは、自分でもわかる。
しかし、それ以上に大きな世界のことは、自分で興味関心を持って、自分で時間を費やして調べなくてはわからないのだ。

通勤電車で、ゲームをしている人が、すべて悪いとは言わない。
しかし、その時間が浪費になっているのなら、その時間をもっと興味のあることに使うべきなのではないかと思うのだ。

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