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書道教室の温もり

失うことから大切なことを学び次の出会いを楽しみにする

物心ついたとき、私は気づいたら書道を習っていた。
祖父の弟にあたる大叔父が、大学で書道を教えていたのだ。
私の実家は、祖父の時代が一番貧しく、祖父は学校も行かずに弟を学校へ通わせた。それによって、大叔父は大学で先生をするまで勉強ができたのである。
書道界に限って言えば、地元で名古屋で大叔父のことを知らぬものはいないほどの有名人らしい。あの『コメダ珈琲』の看板を手掛けたことを言うと、書道や名古屋に詳しくない人でも驚かれることが多い。

そんな大叔父が経営していた書道教室に、幼稚園から通っていた。
自宅から、書道教室がある父方の実家へは、バスでも30分かかる。
そんな距離だったので、当初は父が送ってくれていたが、やがて一人でバスに揺られて通っていた。こんな経験から、幼いころからバスには乗ることができたようだ。

書道教室では、習字を書く前にもいろいろと守らなければならないことがある。
書くときは正座と決まっているし、墨は墨汁ではなく、硯(すずり)に墨を磨って墨液を作る必要がある。
墨を磨るときには、弱い力でゆっくりと磨らなくてはいい墨液はできない。ゆっくりと磨るうちに、精神統一がされ、穏やかな気持ちになる。
こうしたことを幼稚園児である当時の私は、苦も無く行っていた。それというのも、父から食事中は正座をして席を立たないことや、話をしないで食事を終えるようにしつけられた為だと思う。
静かに座っていることも、正座を長時間することも苦にならなかった。足がしびれにくいように、鍛錬されていたのだろう。あまりにも長時間しびれないため、後に入る小学校の野球部ではキャッチャーをやらされていた。
そんなことはさておき、私は書道教室ではいつも満たされた気持ちになっていたことを思い出す。

墨を磨り終わると、先生がやってきて座っている私の頭越しに覆いかぶさって、爪で半紙に見本を書いてくれる。
見本は別途、赤い墨汁で書かれたものが手渡されるのだが、実際に書く半紙にも爪で書いてくれるのである。
爪跡が残った半紙には、先生の見本と、覆いかぶさってくる先生の温もりを感じていた。抱きしめられた経験がほとんどない私には、その温もりが特別な体験となって残っている。

爪跡を辿って書く。ゆっくりと、そして丁寧に。普段ノートや紙に書くときには経験しないほどゆっくりと書く。
子供専門の教室ではないため、大人の生徒さんも多く、その中に混じって書くことはちょっとした緊張感もあった。しかし、覆いかぶさる温もりと、優しく語りかけてくれる声に癒されながら、大切な宝物に触れるように半紙を取り扱った。
子供には全く読めない漢字が手本の日も、たくさんあった。それでも読み方がわからないからこそ、文字をデザインとして捉えることができ、文字の上達につながった。

何よりもうれしかったのは、書きあがって、先生に見せる時だ。
書きあがると、宝物を丁寧に先生のところに持っていく。
その宝物に、先生は見たこともないくらいの丸をくれるのだ。時には五重丸。時には七重丸。丸のせいで、文字が見えなくなるほどだった。
「圭一は天才だな~」
そう言いながら満面の笑みをくれるその人は、私にとっては大叔父ではなく、優しい先生だったのだ。
そんな先生があるときから居なくなった。教室には大叔父の教え子である、若い先生であふれている。大叔父は書道家として有名になり、忙しくなってしまったようだった。
私にとって優しい書道の先生は、大叔父となって遠い存在になってしまった。

それ以来、書道教室には通わなくなった。
「この調子で行けば、先生を抜くかもしれないな!」
笑顔で言う先生の言葉を信じていた。楽しくて楽しくて、満たされていた。
でも、書道は五級で止まってしまった。先生が居ないことが寂しくて、行く度に寂しい気持ちになることに耐えられなかったためだ。

先日、小学校が廃校になるというニュースを聞いた。
それまで、たくさんの生徒の胸に、いろいろな思い出を刻んできた小学校が無くなる。その小学校の跡地には、公園ができるらしい。
ふと、書道教室の先生と廃校になる小学校が似ていると思った。
小学校の跡地には、公園ができる。その公園はきっと、これからたくさんの思い出を、多くの人の胸に刻むのだろう。
時代の波によって廃校となってしまうものの、公園という新しいスタートを切る。
書道の先生も同じなのだ。書道家として名を馳せて、書道教室の先生というポジションは若い人に任せて、自分は次の段階へ進む。
そこではまた、私のように書道を楽しいと感じる人を養って、次の世代へとつないでいくのである。

私は、先生の温もりや優しさによって、書くことが楽しくなった。人からは「字が上手ですね」と言われることが多い。
いつまでも、失ったことを悲しむのではなく、私たちは次の段階に進んでいかなくてはならない。
廃校になる小学校や書道の先生がいなくなってしまっても、学んだことは無くならない。だからこそ、学んだことを大切に胸に刻み、次へ進んでいかなくてはいけないのだ。

文字を書くことの楽しさを、自然に教えてくれた先生は、私の人生を大きく変えてくれた。
このような経験を大切にして、次に訪れる出会いと別れを大切に生きようと心に決めたのだった。

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