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噺家は 世上のアラで メシを喰い

先日、三谷幸喜演出の「ショーガール〜告白しちゃいなよ、you〜(Social Distancing Version)」を観てきた。

前半はミュージカル仕立てのお芝居で後半が歌という構成で、出演が川平慈英とシルビア・クラブ。
この芝居には、コロナ禍ならではの演出がいくつかあった。

そのひとつに飛沫防止の透明なパーテーションが出てくる。普通パーテーションが出れば、現実のコロナ禍に戻されてしまう。ところがそうではない。2人の間にパーテーションを立てて、パーテーション越しに手を合わせる。
触れたくても触れられない。ロマンチックで切ない演出になるのだ。そのあと二人の感情は高まり抱き合う。
だが、すぐに二人でアルコール消毒をして、笑いを取っていた。

また国立文楽劇場では、座れない座席には文楽人形の衣装の柄をあしらった紙を貼っている。
雰囲気を損なわず、逆に気分が上がる。

(国立文楽劇場ツイッターより)

それぞれの分野、コロナ禍に合わせた公演を行なっている。
落語は、一人でやる芸能のため、そういう意味では一番影響が少ないかもしれない。
だが、「噺家は 世上のアラで メシを喰い」
という言葉があるように噺家は、多かれ少なかれネタにしている。

前座時分、楽屋で師匠方の話を聞いていると、新しいことに対してのアンテナの張り方がやはり違うのだ。
ちょっと前になるが、63歳の師匠が80歳の師匠にアッポーペンの説明をしていた。
一般のおじいちゃん同士の会話では、まずありえない。

「師匠、りんごとボールペンを足してアッポーペンと言うらしいんですよ」

「ふーん、そうか‥」

会話は全く盛り上がってなかったが、アンテナの張り方はすごい。


寄席の楽屋は様々なものを目撃する場所だ。

私の大師匠の柳昇は戦争を経験している。だから、モノを残すということはあってはならない。さらに大食いであればあるほど、師匠に可愛がられたそうだ。
その下の世代でもそう教わってきたため、モノを残すことはありえない。もちろん私もそう教わった。

ある日、とある色モノ(落語以外の漫才師や太神楽、俗曲の芸人)の先生が帰り際、楽屋に出てたお菓子を食べようとしていた。87歳のもちろん戦時中を知る方で、温厚な方。
「お、しじみのお菓子だね。俺しじみ好きなんだよな〜。よく食べたよ」
袋を破り、一口食べた。そして一言
「くっせ〜」

次の瞬間、驚きの光景をみた。

ゴミ箱にペッと吐き、残りのしじみを全部捨てて、

「おさき〜」

と帰ってしまった。

目が点になった。
だが、これを見て思うのは、良くも悪くも
「人は、その環境に順応する」ということだ。

その先生も日本の豊かさに順応したのである。

このコロナ禍でも同じことが言える。人はこの新しい生活にも、少しずつ順応しつつある。

だが落語家としての私はまだ、順応できていない。どうしていいのか模索中だ。
そろそろコロナを言い訳にせず順応していかなければいけない。
なんてことを考える今日このごろ‥。

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