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2. 導き手としてのつぐさん

本題に入っていく前に、導き手としてのつぐさんが、わたしにとってどんな人かや、彼が手渡してくれるものを、どんな風に受け取ってきたかについて、書いてみます。


コンサルを受けている感覚はどう?

と訊かれたとしたら、わたしは一言「楽しい」と、答えると思います。

そう、いつも楽しくて、気が付いたら話をしながらたくさん笑っています。


アドバイスが、その時その時のわたしの感覚にフィットしていて、それでいてユーモアがあって。

そんな中で、今何を意識すればいいのか、逆に意識しなくていいものは何か、また、具体的に何をしていけばいいのか、それらが明確になり、自分の方向性がはっきりとしていく。

セッションを受け終わる頃には、エネルギーが充実して「また前に進んでいこう」と思えます。


そして、楽しみながら進んでいると、気が付いたら成長していたり、新しいステージが開けていたりする。

それが、つぐさんの導き方。


一人の人に対する観察力、俯瞰する視点、流れを読む力、相手への関心と共感力、そして、これまでたくさんの人の変容に携わった経験値など、導き手としての能力の、総合的な高さによるものだと思います。


そして。

何より、つぐさん自身が、わたしを導くことを楽しんでいました。


最近になって、わたしを導くときに、いつも何を意識しているのかを、尋ねてみました。

すると、こんな返事が返ってきました。


導く人、先を照らす人
としていること。

いつも(わたしの)目の前の課題の
その先に何があるんだろうって、考えてる。


また、以前こんな風にも言っていました。


(わたしが)上手く流れていけるように
必要なことを伝えている。

要は、立ち止まっている時間が
一番もったいないんだよ。


こんな風に、自分のことを俯瞰して、必要な時には軌道修正をしてくれ、進むべき方向性を示してくれる人がいることは、本当に、ありがたいこと。

おかげで、進む方向を見失うことなく、自分のエネルギーを向けるべきところに注ぎながら進んでいくことができています。




photo by Akina Hayakawa


つぐさんの、人を魅力的に変容させていくノウハウと、その根底に流れる哲学は、人が変容する普遍的な原理に深く根差していながら、同時に突き抜けて個性的であると感じます。


わたしは、その、時に常識を飛び越えた発想に驚愕しつつ、そこに働く力に、魅せられ続けてきました。


それほどまでに、つぐさんと関わる人たちの実際の変化の仕方が、私を含め、目を見張るものだったから。

そこにはもちろん、彼だからできるのであって、他の人には到底、真似できないことも、あると思います。


ですが一方で、その、人を変化させるエッセンスを、多くの人が受け取りやすい形にしていくことも、また、できるのだろうと思っています。


俺の伝えている、人が魅力的になっていく方法を
体系化してみたい。


わたしがコンサルを受けていた初期から、つぐさんはそんなことを言っていました。


そして、それを手伝ってほしい、と。

わたしはそれを聴いて、そのプロセスの壮大さを予感して、少々圧倒されつつも、同時にわくわくもしました。


何より、わたし自身の大きな関心が、人が変化していくことと、そのサポートをすること。


10月に開催した北海道ニセコでの撮影リトリート。
つぐさんとの対話の時間もたくさん持ちました。
参加した方それぞれにとって、大きな転機となったようです。


そんなこともあり、コンサルを受けはじめた頃から、アウトプットを念頭に置いていました。

つまり、つぐさんから学んだエッセンスが、どうしたら他の人に伝わっていくかをずっと考えながら、学んできたのです。



コンサル中は、わたしからもたくさんの質問をしてきました。

つぐさん自身や、彼の伝えようとしていることを、理解するために。


中でも。

まず、つぐさんという人を理解することに、とてもとても、多くの時間とエネルギーを費やしました。

とにかく、わたしにとって特異な存在で、どうしても他の人を理解するようには、いかなかったのです。笑


それは、ひとつは、彼の視座の高さや個性的な世界観、情報処理の仕方など、いろいろな要因から、にわかには、その全容が見えづらかった、というところにあると思います。

また、自分の多面性を受け入れているがゆえに、人に対してもあまり”こういう自分で接しよう”というこだわりがないことから、傍から見た人が一貫したものを捉えにくい、ということもあるのかもしれません。


未知な事態を目の前にすると、そこに自分のバイアスを強くかけて解釈しようとしてしまうもの。

ですから、その部分についてひとつひとつ質問して、彼のどんなスタンスが、どんな風にその言動につながるかを、教えてもらいました。


一般的に、自分のことを知ろうとする相手に対して、何らかのガードを作るのが普通だと思います。

ですが、つぐさんからは、全くといっていいほど、そういうものを感じませんでした。

むしろいつも、わたしがするどんな質問に対しても、ゆったりとオープンに、面白がりながら答えてくれました。


それは、”外側から” 知る、という感覚よりも、つぐさんという人の懐にすっぽりと入らせてもらって、”内側から” いろんなものを見せてもらった、そんな感覚。


未知なものに出会ったときに、それを理解することに夢中になってしまうわたしと、そんなわたしを面白がってどこまでも答えてくれるつぐさん。


いつしか、メンター・メンティーという間柄と並行して、そんな間柄になっていました。


ある時つぐさんに、彼にとってわたしはどんな人かを尋ねたことがあります。

すると、こんな答えが返ってきました。


つぐに興味をもって、研究している人。


そして、ようやくつぐさんという人を、一貫性をもって理解でき始めたな、と感じたのは、2年ほど経った頃でしょうか。


多くの時間を要しましたが、そのプロセスはわたしにとって、とても楽しいものでした。


つぐさんという人を理解していく過程は、そのまま、彼がどんなスタンスで人を見て、関わっているかを理解することにつながっていきました。


つづく。


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この記事は連載形式になっています。
最初からお読みいただくと、これからの記事も、より楽しんでいただけると思います♪


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