以前、鍋を食べに行った時に横のテーブルには家族が居た。なかなか鍋のうどんを掴めない子ども。滑らせて何回も汁を跳ねさせていた。そんな子どもを観て父親が「欲張りすぎや。うどんは逃げへんから、一本一本掴めば取れる。」と言った。それからその子どもが汁を飛ばすことはなくなった。僕もひとつずつ掴もうと思った。

僕らの間で「ベルリンの川」と呼ばれる川が
自宅のマンションの近くにあった。
ご想像の通り、かつて西ドイツと東ドイツの間にそびえ立っていた「ベルリンの壁」が由来だ。

一応補足しておくが、僕は日本生まれ日本育ちだ。
子どもの頃は何かにつけて名前を付けたがるものだ。

小学生の時、子どもたちだけでは「校区内」でしか遊んではいけないという、つまりは校区外に出てはいけないという校則があった。
その校区を分けるためにいろんな目印があった。
JRの踏切、国道、商店街...。
子どもたちにもわかるようになのかとても簡単な目印だった。
察しのいい方ならもう解ると思うが、
その中で一番、僕が記憶に残ってるのが、

「ベルリンの川」だ。

今ならもう少しマシな名前をつけるかもしれないが、あの頃の僕たちは自分のネーミングセンスなど疑う余裕はなかった。毎日必死だった。

「禁止」というモノにとてつもなく弱い子どもだったが、「校区外」へはなかなか踏み出せなかった。
「校区外には先生が監視のためにウロウロしていて、見つかったら怒られる」
「『ごくせん』のような世界があって、お金を持ってたら取られる」
「めちゃくちゃ喧嘩が強い奴がいる」
「何組の誰々が校区外に行った」とか
いろんな噂がたった。

嘘と本当が錯綜していた。

だけどそんなことも知らず、
僕達はとても小さな世界で生きていたんだ。

泳いでる時はその海の広さが解らないのと同じだな。

と今では思う。

「ベルリンの川」の傍にはテトラポットのような石が積み上げられていた場所があった。
その隙間には小学生が2人程入れる個室のようなスペースがたくさんあった。
夏は日陰で涼しく、冷えた石の温度が気持ちよかったし、冬は風避けになった。

僕らはそこを秘密基地にした。

DSで通信対戦をしたり、落ちてたエロ本や家にあった漫画を持ってきたり、火遊びをしたり、
宿題をやってるやつもいた。

無敵だと思った。

僕らの秘密基地の話は忽ちクラスで話題になった。

「ベルリンの川」沿いにあるから「校区外」だという言い合いもあったが、
川の向こう岸じゃなく、こちら側にあるということで終息した。

そのぐらい「校区外」に出ることは
僕らの中では重たい罪だった。

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だけど、そんな僕らでも一度 校区外に出たことがある。僕らの間ではその出来事のことを
「左右の大冒険」と呼んでいて今でも酒の肴になる。

僕らの間では、変速ギアの自転車を乗ってるやつが大半だった。
段階の数で競ったりもしたぐらいだ。
今でも自転車に乗ると立ち漕ぎしたくなるのと、遠くに行きたくなるのはこの頃の経験があるからだろう。

その「左右の大冒険」とは

・自転車であること
・道を走っていて、曲がれるところがあれば左、その次は右、その次は左...と交互にすること
・曲がるタイミングは自分らで決めていいこと

(他にもあったかもしれないが、覚えてるのがこれくらい)

とまあ簡単なルールのついた遊びをやっている時の話だ。

くねくね曲がりながら
みんなでケラケラ笑いながら
自転車を漕いでいた

するといつの間にか見たことの無い景色が広がっていた。電柱に書かれた初めて観る住所。

みんな校区外だと薄々気づいていた。

幸いまだ日は沈んでいなかったので、
帰ろうと諭したが、
まるでみんな聞く耳を持たなかった。
僕も迷子になるなら一緒の方がいいと思って
若干のワクワクを抱きついて行った。

結局迷子になり家に着いたのが20時過ぎ。
親に大目玉をくらった。

これが、「左右の大冒険」
見たことのない景色と
あの高揚感は未だに思い出す。

_________

「ベルリンの川」に秘密基地を作ったのに後2つ理由があった。
1つ目は「ベルリンの川」に架かる橋を渡って暫く行くとイオンがあったのだ。
家族としか行ったことないイオン、
もっと言えばイオンの中にある
あの当時、みんなの宝箱だった「トイザらス」に友達と行くためでもあった。

2つ目はそのイオンの近くにあるラブホテルに行くためだった。
勿論だが、そんな本来の意味を求めて行きたいと思った訳ではない。
ラブホテルの外観が、テーマパークのアトラクションのような作りで、とても楽しそうで。
当時の僕らの大半は親に
「あそこに遊園地があるから連れて行け」
と言って困らせたことがある。
楽しいという感情が違った意味で伝わったんだな。

それでも
トイザらスに入ると未だに胸が踊るし、
紛らわしい外観のあのラブホテルみると
今でも鮮明に思いだす。

こんな傍から見ればくだらない思い出話はいくらでも出たのに、肝心な

「校区外に出たきっかけ」はひとつも覚えてない。

気がつけば「トイザらス」に行って、遊戯王を買ってたし、あれはテーマパークじゃないこともラブホテルの本当の意味も知っていた。

あの秘密基地への道は雑草が伸び放題で通れなくなってたし、「ベルリンの川」に見向きもしなくなった。

今じゃ20歳。車にも乗れるし、
お酒も飲めるようになって、
22時以降でもファミレスに入れるし、
夜通し遊んでも補導されないし、
朝方帰っても親に怒られない。

なんて自由なんだ。

なんて寂しいんだ。

あの限られた環境の中の自由に
井の中が1番広いと思っていた愚かさに

勝てるモノが未だに見つからない。

海に放り出された蛙は

海流に飲まれるだけなのだろうか。

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