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ELEMENTALをおじさんが推す

 まぁーいいじゃないですか。
 CGの会社なんで、結局炎と流体を今の技術でやってみたみたいな。
 おじさんはドット絵というか絵すら出ないドットと数字だけのブラウン管で映すパソコンで信長の野望とかやってた世代ですからね、進化したな(小並感)という他ありません。

 そして終わり良ければなどと申しますが、ヒロインの未来が不安と期待が入り混じった状態で暗示され、閉めるのはいいなと思いました。それでこそ劇中のモラトリアムが完全に光る。アニメじゃない方のガンダムで、最後にジュドーがルーと木星に行ったのと同じ感じです。

 時代的に、ポリコレの嵐を人外で乗り切る姿勢も好感が持てます。そこには黒人もアジア人も置きようがないですから。反則っちゃ反則なんですが、この世界観でブスな有色人種を出せ言われても無理ですからね。CGの世界にはブスはいねぇんだ! ていうちょっとした反骨心を感じることができます。ディズニー配給はもう全て人外でいいんじゃないか。

 もしわたしが子供だったらね、ハマりますよこれは。世界観(ディティール)ががっつり作りこまれているので、感性の鈍ったおじさんでも一瞬「あれこんな世界が本当にあるんじゃないか」的な、カカロット達が本当にどこかで戦っているんじゃないか的な錯覚を禁じえません。
 それはこの作りこまれた世界がやはり優しくて素晴らしいからです。
 いいじゃないすか。都合よく公務員のボンボンに惚れられてその親にポーンと大枚出してもらって貧乏な家族とは離れて行って夢かなえますよみたいな筋書きでも。シンデレラストーリーがあるから、俗世で足搔く我々は現実の痛みを忘れたり、クソみたいな現実に立ち向かうことが出来る。
 それでそういう麻酔にハマって、CGを作ったり脚本を書く側に回るキッズが増えたら、めちゃくちゃいいことじゃないですか。ガキはこぞってブスのいない夢の世界に遊べばいいんです。

 ていうかあれですよね、結局ポリコレは不幸な物語を書いてこそ本懐と言えるんじゃないでしょうか。「不幸な人もいていいんだ!」ていうね。多様性なんですから。
 と言うのは、外見に囚われないというのは言ってみれば持ち得る価値観のアップデートで、極めれば不幸を幸せとしたり、悪人を善人としたりするのが行きつくところで、正に白黒がつかない世界を目指そうというところなんじゃないでしょうか。
 そうであれば、このアニメは古いと言えば古いです。あえての王道かもしれない。

 しかしデカい金を動かしてエンターテイメントする場合、やはり多数派に依る=より多くの人が肯定しやすい世界観 を結果的に作らざるを得ないのは当たり前のことではないでしょうか。
 例えばエロ動画でメガヒット飛ばそうと思っていきなりスカトロを撮る監督はいないよね? うんこで抜けないのが多数派なんですから、それは仕方ない。いやうんこでも興奮しようぜ! うんこがかわいそうじゃん! みたいな事言われても、大きなお世話としか思いません。
 うんこで抜く人に文句を言うなよ! なら分かりますよ。元より勝手に抜くがいい。しかし、わたしは見たくはない。

 いやなんでディズニーのレビューでうんこの話してんだ俺。

 

 


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