言いようのない恐怖を綴った2018年4月14日の日記

私は15歳で海外旅行に初めて行ってから今まで18ヵ国回ったが、その中で、2016年にモンゴルに行ったときから旅中に旅行記を書いている。お決まりのA6のメモ帳を毎回出発前に買うのだ。当然2018年度を休学してアフリカに出発する前にも同様のノートを用意した。


その日記は北海道の実家を旅立つ当日の朝から始まっている。アフリカという未知の世界に向かう現実に対する恐怖が描かれている。以下に当時記した内容をそのまま書き出したいと思う。



4月14日

家を出発する日。アフリカに行くということを考えると気が気じゃなくなってくるので考えないようにしている。不安で怖くて、怖気づいている自分がまた不安。「困ったら帰ってくればいいよ」とは言われるものの、そんなことが出来るわけない。海外旅行のときのワクワク感やどんな世界が広がっているのだろうという好奇心はさらさら感じられない。ただただビビっている。冷静に考えて今ビビっても意味がないのはわかっている。でもそんな理屈なしに何かに迫られている感覚がなくならない。こんな感情に姉3人もなったのだろうか。姉の話や留学体験記もちょっと読んだりして、知っているような気になってはみたものの、直前になり空港で泣き出した長女の気持ちがよくわかる。しかも高校生のときにアメリカに一年行ったのだから尊敬する。今日は夜の便で羽田に移動して東京に行くだけ。そして明日の夜の便で成田からルワンダに向けて飛び立つことになる。



この初日の日記の内容をルワンダ滞在中やアフリカ浮浪中に何度も読み返した。そして何度も自問自答した。

「このときの自分から本当に成長できただろうか」

何もかも不確定なことばかりだった。現地に自分の知り合いは一人もいない。何かの団体に所属して渡航するわけではないので、助けを求めれる存在はいない。ネットの記事にはルワンダはすごく安全だと書いてあったがそれも本当なのか。24年前のジェノサイドの歴史が重くのしかかる。衛生面は大丈夫なのか。隣国のコンゴ民主共和国ではエボラ出血熱が蔓延していると聞く。お金はどのくらいかかるのか。

今でも覚えていることがある。成田空港近くのホテルで出発前に日帰り温泉だけ入らせてもらった。露天風呂から滑走路に離着陸を繰り返す金属の塊を見ながら、不安にかられ足が震えていたことを。それは4月の成田が寒かったからではない。

「明日には自分が異世界にいるのだ、もしかしたらここには戻ってこれないのかもしれないのだ」

と本気で怖気づいていたからだ。


しかしこうやって帰ってくると、あの感情は人生一度きりだと感慨深げに思い出される。現に、2度目のアフリカとなった今年1月のウガンダ渡航前はそこまでセンシティブにはならなかった。

本当にありがたい経験をさせてもらっているとつくづく感じる。家族に感謝している。



補足として、私には尊敬する姉が3人もいるのだが、彼女らはそれぞれ長期海外留学の経験がある。その影響を強く受けて自分が出来上がっている事実に100%同意する。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?