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【016】「吾輩に猫はいない」2023年6月の日記➀

3か月前の日記を書きます。分かってる。もう何も言わなくていい。
こっから”いま”に追いついていくんだからさ。

6月初頭に太宰府天満宮・九州国立博物館に行った。
広島に住む祖母が福岡旅行に来たので、観光案内をしたってわけだ。

太宰府天満宮では2023年5月末から本殿の改修が行われており、いまは「仮殿」と呼ばれる建物が代わりに建っている。改修は2026年に終了予定なので、そこまでに旅行に来ようとされている方は注意されたし。

太宰府天満宮のプレスリリースによると、この改修の動機として「令和9年(2027)に、道真公が薨去(こうきょ)なされてから1,125年という大きな節目を迎えます」というポイントを上げている。
1,125年って節目なんですね。節目なのか? キリ悪くない?

この仮殿がなかなかに尖っている。先に「そこまでに旅行に来る方は注意されたし」と書いたけれど、この仮殿を観るために太宰府天満宮に足を運ぶ価値も十分あるだろうと思う。写真の通り、建物の屋上に森があるのだ。これが面白い。

「森」と表現するしかなかろう
仮設置された神様

太宰府天満宮、たまに行くと面白いな。福岡の観光地と言えば「大宰府」か「糸島」の二択かなと思っているけど、どちらも連れていくには正直躊躇するスポットである。外部の人間からして見どころがあるとは言えないのだ。観光地って大概にしてそうだと思うけれど。
しかしたまに散歩して回るにはちょうどいい。やや遠いのが難点だけど。

敷地内の蓮池にアオサギがいた。この時点では「君たちはどう生きるか」は公開されていない。本作については来月分の日記で言及しようと思う。

唐突に現れるカッコいい写真

その後、九州国立博物館の「アール・ヌーヴォーのガラス展」を観た。
芸術作品としてのガラスと、商用流通するモノとしてのガラスについての対比がなされていて、大変興味深かった。
こうした、芸術品と呼ばれていたものが工業製品に移り変わる過渡期に関心がある。僕はどのジャンルでも過渡期に魅力を感じるのだと最近気づいた。

翌日、祖母の兄弟の墓参りに行った。本来の目的はこちらである。
長年足を運べていなかったことが気がかりだったらしく、僕が福岡転勤になったことを機に、意を決して訪れたのだ。(当然だけど)祖母ももう若くはない。

そこは総合霊園になっており、施設として管理されている集合墓地であった。受付に行って名前を伝えると、しばらくして番地の情報が開示され、渡された地図を元に現地へ向かう。晴天の元を歩くと、そこにはちょっとした街ほどの規模の数の墓が並んでいた。

一般に、一族に忘れられた墓は、雨泥にまみれ、草木に埋もれるものだけど、そこに並んだ墓はどれも綺麗なままだった。職員がメンテナンスしてくれているのだ。たとえ家族に忘れられたって綺麗なままなんだろうな。

とは言いつつ、辿り着いた番地の墓にはちゃんと花が添えられており、直近で親族が参りに来ていたことが分かった。「忘れない」って当たり前のことじゃないよなと思った。

祖母は僅かな時間だけ参り、すぐにその場を後にした。

受付でこんなものを見つけた。面白いこと考えますね。


5月に29歳になってしまった。最近、知人の結婚報告がたて続いていることもあり、否応なしに将来のことを考えてしまう。
僕は結婚する気はないし、この気持ちは今後も変わらないのだろうと思っている。しかしこうなると僕が死んだ後に墓を建ててくれる人はいないのだろうな。

墓があり、年一回のイベントとして墓参りをする。
それは「忘れない」を忘れないための、ある種の手段である。
「忘れない」って想像以上に難しい。こうして3か月前の日記を書いているいまだって、正しく記憶を掘り返せている自信がない。
結婚はしなくていいけど、忘れられるのは辛いかもしれない。

しかしまあ、寂しくはないので当面は焦ることもないだろうな。
幸い、友人は足りているし、一人で完結する趣味も複数持っている。
しかし僕は今、非常に迷っている。

猫が欲しい。

猫が欲しいんだ。

猫が欲しすぎて猫カフェに行ってしまった。
僕は本当に寂しくないのか?????
大丈夫?????


しかしまあ、大丈夫でしょ。
三か月経ったけれど、いまだに吾輩に猫はいない。

しかし、来月は分からない。

(おわり)

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