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【005】「人気だから人気だった」2022年7月の日記➀

・三回前の日記で祖父のことを少し書いたけれど、その祖父が亡くなった。実際には亡くなってからすでに二か月近くが経過している。より具体的に書くならば、日記を投稿したその日に訃報を聞いた。冠婚葬祭は経験が少ないので苦手だ。得意な人なんていないだろうけど。その日僕は行きたくもないゴルフの練習をしていた。

・その日記の中で、祖父の家のにおいは仕事のにおいなのだと結論をまとめていた(詳しくはこちら)。しかし久しぶりに訪れた祖父の家は、記憶の中と同じにおいではあったけれど、革靴のクリームのにおいとは異なっていた。そもそも僕に物心がついた頃にはすでに祖父は仕事を辞めていた。

・なんだかいい感じの〆を書いた気になっていた自分が恥ずかしくて、少し落ち込んだ。人生を物語として消費するな。感慨に浸るな。ふざけるな。本当に気を付けていきたい。

・先日、早くも四十九日が終わった。家の片づけは父があらかたやってしまっており(父は本当にしっかりした人間だ)、他県から足を運ぶしかない僕に出番はなかった。その折、祖父の私室に入る機会があった。祖母はかれこれ二十年前に亡くなっているので、私室とは言ってもただの寝室だ。そこにはささやかながら本棚があって、気持ちばかりの小説が並べられていた。そして、そこには小松左京の「日本沈没」があった。祖父と小説の話をしたことなんてなかった。もしかして、と思って僕は「日本沈没」を手に取った。僕はSF小説が好きで、もしかすると祖父も同じようにSFが好きだったのではないかと思ったのだ。


・話は変わるが、昨日、映画館でMCUの新作「ソー:ラブ&サンダー」を観てきた。

MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の29作目

・MCUも29作目に到達した。僕は「エンドゲーム」の公開に合わせて過去作を一気見して追いついてからは、ほぼ毎作を映画館に観に行っている。エンドゲームの時点で22作目。すごい量だ。流石に人に勧めるには重すぎる。

・MCUは「マーベル・シネマティック・ユニバース」の略称で、複数の原作コミックに登場するヒーローたちを「同一の世界」に共存させてコラボレーションさせようというプロジェクトの名称である。マーベルというのは出版社の名前だ。

・「ソー:ラブ&サンダー」も例に漏れておらず、過去作品との関連性が面白さのキーなっていた。特にエンドゲームとの関連性が強い。エンドゲームはいわゆる最終決戦的な位置づけにある作品で、ざっくり言うと、今作はその後の「疲れたヒーロー」としてのソーを描いていた。

・サブタイトルの「ラブ&サンダー」が最高にイかしてる。あまりにも直球な作品テーマ、「ソー」という神の名前からの脱却、そして新キャラの華々しい登場。「しかし彼らのことをよく知るものは(彼らのことを)こう呼ぶ」の後にデカデカと作品タイトルが出てきた時は嬉しすぎて手を叩いてしまった。物語自体は正直単調で驚きのないものだったけど、サブタイトルの回収だけで満足してしまった。

・しかしMCUもここまで来たら追いかける体力のある人も少ないだろうな。それこそエンドゲームの公開当時は人気絶頂で、「みんなが観ているから観る」なんてモチベーションの人も多かった。人気だから人気になる、という現象だ。派手なアクションでキャッチ―な物語。ポップコーンムービーとして最適な位置づけにあった。しかし29作品目ともなると、「人気だから人気」という売り方も無理が出てくる気がする。

・最近はディズニープラスだけで観れるドラマシリーズも始まっており、実質的には29という数字を大きく超えて世界が広がっている。しかもドラマシリーズでの物語が映画の下敷きになっている演出も出てきており、楽しむためのハードルが非常に高くなってきていることも事実である。玄人向けのコンテンツに舵をとってるのだろうか。それにしては制作規模が肥大化しすぎている。

・逆に、これからのMCUが楽しみでもある。いつか船から転がり落ちるまでは映画館に足を運びたい。


・話を戻そう。祖父の私室。そこで僕は小松左京の「日本沈没」を手に取った。被っていた埃を払い、まっさきに最後のページを捲った。

・そこには第200版(くらい)の文字があった。別に初版が偉いとか、そういうわけではないけれど、なんだか気分が軽くなった。

・祖父が実はSFが好きだったとか、そういう物語は要らなかったから。

・つまり、人気だったから人気だった作品は、いつの時代も、どの場所にも存在してくれたってことだ。これはこれで物語なのかもしれないけれど、このくらいの感傷は許してほしい。


(おわり)


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