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【002】「たびのおわりのにおい」2022年5月の日記①

日記、続いていない。

一見、続いていないように見える。

しかしこの状態は本当に「続いていない」と言えるのか。

前回の更新は一か月以上前。日記という名称を与えている以上、日々を記すものではあってほしい。だがあなたは批判できるか。俺にはできない。たとえ更新頻度が一年に一回でも本人が日記だと主張すれば、それは日記になりえるのだ。だからこれは日記なのです。俺はそう思うよ。

福岡に赴任してから二か月近くが経った。最初はホテルのようだと感じていた新居に対する感触も慣れが勝ってきた。新居最高。広い作業スペースもあるので趣味が捗る。しかしここを「新居」と呼ばなくなってからが本番だと思う。まだここは俺にとっては新居のままだ。

具体的には自分の家に「におい」を覚えたとき、そこが新居ではなくなるのだと思う。

好きなアニメに「宇宙よりも遠い場所」という作品がある。群馬の女子高生4人組が南極を目指す物語で、青春の楽しさや他者との関係性の切実さを描いた大傑作です。この作品では4人が本当に探索隊として南極にたどり着き、仕事を果たすまでの物語が描かれる。その作中で俺が特に好きなシーンはエピローグ、家路のシーンで語られる主人公たちの独白です。

旅に出て初めて知ることがある。
この景色が掛け替えのないものだということ。
自分が見ていなくても、人も世界も変わっていくこと。
何もない一日なんて存在しないのだということ。
自分の家ににおいがあること。

宇宙よりも遠い場所 STAGE13 「きっとまた旅に出る」より

自分の家ににおいがあると気づいたとき、そこは自分の家になる。いい言葉ですね。旅の終わりを表現する言葉として使っていきたい。

福岡空港の景色。空港は広い。飛行機が離陸するときのガソリンのにおいが未だに怖い。

最近、よく東京に行く。転勤が命じられる前にすでに決まっていた予定があって、それを消化する形だけど、4~5月の間に3回は飛行機で東京に行っている。行きすぎな気もする。しかしこの度予定をすべて消化し終わったのでしばらくは福岡で大人しくしていると思います。その方が自分らしくはある。旅をするのは俺らしくない。

しかし旅から帰ってきても新居には特別な「におい」はまだない。だからなんとなく旅をしてきたという感触はない。東京の高いビルや忙しない街並みの方がいまだに俺の生活に根付いている。

全然話は変わりますが、お笑い芸人の「東京03」の単独ライブを観てきました。

第24回東京03単独公演「ヤな覚悟」。「ヤな」シリーズの完結編。

友人にファンがいて、4公演連続で鑑賞している。自分の興味の外側に触れる機会があるのは、すごく有難い。俺は自分が好きなものには過集中して向き合うことができるけど、新しいものへの目線が不足しているのが欠点だと自覚しているので。

東京03は昔、大学の学祭でゲスト公演をしていたことが一度あった。今思えば破格のゲストだ。もう少し興味を持って観に行けばよかった。ああいうときに興味のアンテナを向けられないのも俺の欠点である。むしろ東京03は俺の好きな部類の演出を好んで使うスタイルをとっているのだから。

演劇風の(長めの)コントを主流としている東京03は、物語性を特に大事にしているトリオでもある。起承転結が美しく編まれていて、「笑い」というエッセンスを抜きにしても面白い。「Funny」だけではなく「Interesting」な芸風。脚本集とか発売してほしい。

芸人の単独ライブを多くは知らないから、もしかすると主流の構成なのかもしれなけど、東京03のライブでは作品と作品の間に幕間の映像作品が挟まれる。これまでの公演では「直前の作品に関係する小話」が挟まれていたけど、今回は違った。

東京03は「飯塚悟志」「豊本明長」「角田晃広」の3人組のトリオで、公演中はその3人が計6つ程の短編劇で、それぞれ異なる役を演じる。すべての短編劇は基本的には別の世界線であり、単独の状況を描いている。ある短編では「飯塚悟志」は居酒屋の店員を演じ、また別の短編では高級料理店のサーバーを演じる。

今回の「ヤな覚悟」では、幕間を通じることで、「飯塚悟志」という演者をフックとして世界間の関連性が描かれた。「飯塚悟志」という役者が演じたキャラクターが同じ世界に存在していたことが明示的に提示されたのだ。

これにより3人しかいない東京03の公演に、幅が生み出された。まるで複数人の劇団の巨大な物語を魅せられたかのようだった。実は短編と短編には関連性があって、次にどこで伏線回収が果たされるか分からない。思いもよらない場面で数十分前のボケに突っ込みが入ったりして、ひと時も気が抜けなかった。

気持ちの良い物語だったなぁ。全体の芯も手堅くまとめられてたし、非の付け所がなかった。お笑い、奥が深いです。

3回目の東京遠征。そこから帰ってくると、玄関の革靴に傷が入っていることに気づいた。茶色の靴に白い傷がくっきりと浮かんでいる。

「靴の手入れが出来ていないやつは仕事の出来ないやつだ」という言説があるけれど、俺はこの言葉が嫌いだ。嘘マナーである。「仕事ができる」という状態に「靴の手入れができている」は含まれるかもしれないけれど、その逆は成り立たない。むしろ一般的なビジネスマナーから外れている有能なビジネスマンの方が魅力的に見える。

しかし流石に見すぼらしいので仕方なく手入れをすることにした。茶色の塗装ができるクリームを買っていたので、それを久しぶりに開けた。もしかすると初めて開けたかもしれない。少なくとも、その「におい」に気づいたのは初めてだ。

革靴の埃を払い、古い布にクリームをつけて傷の上塗りをする。傷は案外綺麗に舗装されて、新品と見まごう状態に復旧する。しかしその代償にクリームのにおいが玄関に蔓延した。そのにおいには覚えがあった。

それは、父方の祖父の家のにおいと一致したのだ。
子どもの頃からそこに特別なにおいがあると気づいていた。単純に古い家に特有のにおいなのだろ思っていたけれど、それはとても普遍的なにおいだったのだ。

それは「仕事」のにおいだった。
家の「におい」はその人自身のにおいが多くを占めるのだろうけれど、必ずしもそうとは限らない。「自分の家ににおいがある」ことに気づくこと。それは必ずしも旅の終わりに気づくものではないのだ。いや、仮に「家のにおいに気づくこと」が旅の終わりに結びつく現象なのだとすれば。

今日、長い旅がひとつ終わった。っていうことかもしれない。

どうだろう。日記の〆としては手堅いと思うのだけれど。

(おわり)

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