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【ゲームと私】

今日もゲームやってます。やってない日は多分ないです。しょぎです。
私といえばゲームですからね。(誰も言ってない)
色んなゲームがうまい!というようなガチゲーマーではなくとも、周りの友人達よりはゲームで遊んできているような人生でした。
そんな私はいつからゲームに触れて、どのようにゲームと歩んできたのか、そんなnoteです。
長くなること間違いなしですが、宜しければお付き合いください。
(道中でも記載するのですが、それぞれの細かいお話は別noteを作るつもりです。)


■ 初めて遊んだゲーム


私は物心がついたときにはクマのぬいぐるみと常に行動を共にする子供でした。
家の中でも外に出かけるときでも、どこに行くにもずっと一緒クマのぬいぐるみと一緒でした。
そんな私が家の中で唯一ぬいぐるみを手放す瞬間、それがゲームの時間でした。
厳密には手放してはおらず傍らに寄り添わせていたのですけれどもね。

このnoteを見てくれているみなさんはゲームで遊んだことがあるという前提で話を始めさせて頂きますが、初めて遊んだゲームを覚えているでしょうか。

私はピコです。キッズコンピュータ・ピコです。(え?)
ご存知ですかね。歴としたテレビゲームでドラえもんのゲームとかあったんですよ。


ちょっと調べてみたらこれセガが作ってたらしいです。知らなかった…。

と、まぁこれを除いてはおそらくスーパーファミコン(SFC)版のスペースインベーダーです。
もしくはSFC版ストリートファイターⅡ(ストⅡ)です。
おそらく4~5才の頃の話になりまして、最も古いゲーム体験の記憶がこのどちらかだろうな。といった感じです。
あんな書き出し方をしておきながら、覚えてないんですよね…笑



■ 初めてのゲームはもうそこにあった


ストⅡについて少し語りたくなるのですが、ひとまず今回は置いといて初めてのゲーム体験は何故SFCだったのか。というところから進ませて頂きます。

時代や育ったときの環境にもよると思うのですが、少なくとも私が育ってきた環境では4~5才の時点で「SFC欲しい!」と言うことはありません。
(そもそも存在を知らなかったしね。)

じゃあ何故SFCに触れる機会があったのか。
答えは簡単で親が持ってたんですよね。
最近の若い人たちは結構こういう経緯でゲームを知ることが多そうですが、私の周りでは非常に絶妙なラインでした。
初めてのゲームは親が持っていたゲームという友人は少なかったですね。
NINTENDO64を親が買ってきた、親に買ってもらった。という友人が主だったイメージです。

これは私の憶測ですがゲーム機の発売時期が影響してるんじゃないかなと思っていて。
以下がゲーム機の発売日になるのですが、、

ファミリーコンピューター(FC):1983年7月25日
ゲームボーイ(GB):1989年4月21日
スーパーファミコン(SFC):1990年11月21日
NINTENDO64(N64):1996年6月23日

私が産まれるのはちょうどSFCとN64の間の頃なんですよね。
いくら当時の話題性が強かったとしても各家庭に必ずあるわけではない上に、買った当初は遊んでも1~2年も遊んだらいい方で、押入れの奥底に眠ってしまうことも多いんじゃないかなと思います。
その上、結婚生活の中でゲームを買い遊ぶという時間もなかったんじゃないかというイメージを持っています。
(これは両親が2人合わせてひと月の残業が500時間という話のせいでもありますが。)

我が家においてもSFCがあったのは「母の産休期間中、暇だろうから」という理由で母の兄が譲ってくれたという話を聞きました。
そして私が生まれてからSFCは殆ど使われていなかったそうです。

さて、話が逸れてしまいましたが、そんなSFCとの出会いは父が遊んでいたからでした。
プレイしていたゲームはファミスタという野球ゲームでしたね。
当時の私は野球が分からなかったのでその場で一緒に遊び始めることにはならなかったのですが、その後は父のプレイを見るという時間が少しずつ増えていき、インベーダーかストⅡのプレイを見ている際に自分でも、とプレイしたものだと思います。
(しっかりとはやっぱり覚えてないんですよね。)



■ 次々に現れる新たなゲーム機たち


SFCでゲームを知った私は1年経たないうちに新たなゲームと出会います。
それがNINTENDO64です。
こちらは従姉妹の家にありました。
そこでプレイしたのはマリオパーティ1です。
これには衝撃を覚えましたね…。

私の中ではゲームって前述したストⅡ、インベーダー、ファミスタの他にマリオカートでしたので、殴る、撃つ、走るなどの世界しか知らなかったわけです。

それなのにN64とマリオパーティ1はSFCを全て超えてきたのです。
プレイ人数、グラフィック、ゲーム性、どれを取っても新しい世界でした。
中でもN64で目立っていたのがコントローラーでした。

「ど う や っ て 持 つ の ?」

ってデザインしてますよね。時折、正しい持ち方戦争がネット上で繰り広げられますが、ゲームによって求められる持ち方が変わるので、一概に正解はありません。
このあたりもゆっくりお話したいのですが、またそれはいずれ別のnoteでということで…。

そんなN64との出会いがあり、そんなにしないうちに我が家にもN64は導入されました。
ソフトはポケモンスタジアム264で発見!!たまごっち みんなでたまごっちワールドの2本です。
この2本についても語りたいところですが、この頃には更にゲームとの出会いがあります。
(N64については別noteで語りたいなと!)

それはゲームボーイです。
こちらは父が数ヶ月ほど入院した際に会社の同僚が貸してくれたそうです。
「テレビ以外でゲームができる」ということに驚きつつ嬉々として触らせてもらった記憶があります。
(ソフトはポケモン赤とメトロイド…だったかな。)
とはいえ入院中の父の元へ行く機会もそうそうなかったのであまり触れることはありませんでした。
その少しあとくらいにポケモンクリスタルと共にゲームボーイカラー(GBC)を手にするんですけどね。
これとほぼ同時期?にワンダースワンを父が購入します。ソフトはグンペイというパズルゲームでした。



■ 進化し続けるゲームたち


時は多少流れ、私も小学生へ。

小学生時代は私の成長とともにゲームもものすごい勢いで進化していったという印象が強いです。
まずゲームボーイアドバンス(GBA)ゲームキューブ(GC)の登場です。
この2つがほぼ同時に現れました。
ソフトはGBAだとくるくるくるりん、GCは大乱闘スマッシュブラザーズDXでしたかね。
もう家に居ても外に居てもゲームが出来るということでゲーム漬けの毎日でした。
こうしてどこでもゲームをしていた私ですが、この数年後に更に大きな出会いがあります。

小学生男子の心を鷲掴みにするもの、なんだかわかりますか?
そう。ガンダムですね。(異論は認めます。)
もちろん世代、個人差は大いにありますが、私の周りではガンダムブームが来るのです。そして、そのガンダムのゲームを持っている友人がいたのです。(ソフトは機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオンDXでした。)
そして、そのハードはPlayStation 2(PS2)だったのです。

みなさんお気づきでしたでしょうか。
ここまで(ピコとワンダースワンという変化球はあれど)任天堂のゲーム機しか出てきていなかったのです。
もちろん任天堂至上主義というわけではありませんでした。
たまたま任天堂のゲームしかやる機会がなかっただけなのです。
なんならPlayStation(PS1)は完全にすっ飛ばしてますしね。
(まぁイメージ的には子供は任天堂、大人はプレステという感じはあったりなかったりしますが。)

このPS2との出会いは後々の私のゲーム人生を大きく左右するような「トルネコの大冒険3」というタイトルとの出会いにも繋がっていくのですが、それもまた今度お話させてください。

こうしてまた時は流れ中学生にあがり…と、行きたいのですがもうひとつ小学生時代にはゲームが出てきます。
ニンテンドーDSです。
DSに関しては何の前触れもなく親が買ってきました。
ソフトはスーパーマリオ64DSポケモンダッシュでしたね。

画面が2つ、下の画面はタッチパネル、ソフトが無くても簡単なお絵かきで遊べるピクトチャットシステム。
まぁ遊び倒しましたねこれも。私には妹がいて妹もDSを与えられたのでよく2人でピクトチャットで遊んでました。

余談ですが、ガラケーのアプリゲームなんかも結構色々遊んだりしてました。
G-MODEというメーカーさんには特にお世話になりましたね。

こうして今度こそ、中学生編へと入ります。



■ ゲームの進化と私の固定概念


ゲームに詳しい人はなんとなく流れがわかってくると思うのですが、次に登場するゲーム機。それは任天堂のWiiです。
このWii、今までのゲームとは明らかに違うシステムが導入されているのです。
それが「Wiiリモコン」という無線コントローラーです。
これがなかなか当時の私には曲者でして…。
「ゲームは有線で、ボタンをガチャガチャしてコントローラーで遊ぶもの」という固定概念が根強かったんですよね。今でこそ無線コントローラーにも慣れましたが、慣れるまで時間は掛かりましたね。
ただVirtual Reality(VR)にはまだ抵抗というか、面白そうだなと思いつつも手が伸びない自分がいます…。笑
まぁ、そういうこともありちょっと興味はあるゲームは出ていたのですが買うことはなかったのです。
まぁ友人が持っていて遊ばせてもらって、楽しいやんけぇ…と簡単に落ちたんですけどね。笑

じゃあ落ちたなら買ったの?という話ですが、買ってません。
結局、すぐにWiiを買ってまでやりたいゲームがその場ではなかったことと、その少しあとにPlayStation Portable(PSP)と出会うのです。

このPSPで何のゲームをやったのか。同世代の方なら通ってる方も多いはず。モンスターハンターポータブル 2nd G(MHP2G)です。
いや本当にこのゲームは遊び倒しました。休みの日に朝から夜まで友人と一緒にずっと遊んでました。
PSPとMHP2Gのおかげで友人が増えたと言っても過言ではありませんね。



■ ゲームセンターという世界


さてここまで家庭用ゲーム機の話だけで来ましたが、ここでゲームセンターとアーケードゲームのお話に入らせて頂きます。
当時の私の中でのゲームセンターというと「デパートの中にあるUFOキャッチャーやメダルゲームのお店」のイメージだったのですが、ここで出てくるゲームセンターは「ゲームセンターのために建てられた娯楽施設」という枠でのゲームセンターとなります。

私は当時、ゲームセンターとして建っている娯楽施設には怖いイメージを持っていて、いわゆるヤンキーが屯する場所と思っていました。
でもいい歳になり移動手段に自転車が手に入り、多少遠くまで遊びに行くことも許されるようになった。ということもありゲームセンターに行こう。と友人たちとなったのです。(学校側から行ってはいけないと言われていたからこそ行きたくなったという心理もあったのかなと。)
結果としてたまーーーーーーにヤンキーやギャルに絡まれることもありながらも、私はこのゲームセンターに1人でも何度も足を運ぶようになります。

その理由が音楽ゲームです。初めて触ったタイトルは「jubeat」でした。
10年以上経った今でも、音楽ゲームをやるためにゲームセンターに足を運んでいます。
このあたりの話についても、別noteで書かせて頂きますね。



■ レトロゲーム期到来


実はこの頃、私は「実況プレイ動画」という世界にドハマリします。
詳しい経緯などについては実況プレイ動画についてはnoteを書く気満々なのでそちらで、お話しますね。
して、その実況プレイ動画を見ていく上で、レトロゲーム(時代的にSFC、N64、GB、GBC、PS1あたりの作品ですね)を大量に知ることになり、その世界に惹かれていくのです。

PSPとゲームセンターが主な勢力となったまま、高校編です。
流れ的にはPlayStation 3(PS3)を予想した方も多いかと思います。
実は私、PS3に触れるのはもう少し後になります。

高校時代も主にPSPを主戦力とし近所のスーパーのイートインスペースで友人と遊ぶのが主だったのですが、家でひとりゲームをする時はレトロゲームをよくやっておりました。
この頃にハマったタイトルのひとつとして「不思議のダンジョン2 風来のシレン」があげられます。
なぜ風来のシレンをあげたのか。それはこのゲームにハマった結果、出会うゲーム機があるのです。

その名をドリームキャスト(DC)
セガのゲーム機です。名前の由来は「dream(夢)をbroadcast(広く伝える)という願いを込めた造語」だそうです。
実際、時代を先取りしすぎた夢のゲーム機って感じで、時代やタイミング次第ではもっと行けたのではないかと思います。
まぁまぁ、DCの小話はまた別の機会にするとして、このDCを買った理由が風来のシレンの番外編があったからなのです。
(風来のシレンに関してもこれ単体でnoteを書きたいので詳しくはいずれ…。)

そしてもうひとつ、レトロゲームとは真逆の当時の最新ハードなのですが、出会いがあります。
これも実況プレイ動画からの影響で「Xbox 360(箱○)」のソフト「デッドライジング」というゾンビゲームに出会います。
このゲームは「CERO:Z(18才以上のみ対象)」なので親に頼んで買ってもらった記憶がありますね。
もはやどうやって手に入れたのか覚えてないのですが、どうにかして箱○を手に入れましたね。誕生日かなんかで買ってもらったのかな…?
デッドライジングがやりたいという理由と、PS3と同じタイトルが出てるのに箱○版の方が何故か安い。という理由からPS3ではなく箱○を選んだんですよね。



■ オンライン対戦という戦場へ


高校卒業前ぐらいから遂にPS3を手にします。
理由は友人と「Call of Duty: Modern Warfare 2」というゲームで遊ぶためです。
ひとことで言うと戦争のゲームですね。FPS(一人称視点)ということもあり、当時は慣れるまでに時間がかかりました。

PS3は今までやってきたゲームとは明らかに違う点があります。
それはオンラインで遊べるという点。
今まではどこかに集まらなきゃ遊べなかったものがお互いに家に居るままに遊べるのです。
夕飯前ぐらいには家に帰るような学生時代でしたので、寝るギリギリまで友人とゲームが出来るということは大きな変化でした。

そして更に私は格闘ゲーム「スーパーストリートファイターIV」「BLAZBLUE CONTINUUM SHIFT」と出会うのです。
これが私がひとりで見ず知らずの人とオンラインで対戦する初めての経験となり、どっぷりハマりました。
トレーニングモードでコンボの練習をし、オンラインへ飛び出し、何が出来た何が出来なかったと勝敗で一喜一憂する毎日でした。
ちなみに後々アーケードコントローラーというゲームセンターで遊ぶのと似た環境で遊べるコントローラーも買いました。
こちらのリンク先が私が所有しているものと同じモデルですね。

そして、この先オンライン対戦が主流となりこの戦場から逃れられなくなるとは思いもしませんでしたね…。笑



■ 「あの頃」の作品とお手軽さ


このあたりで私は携帯ゲーム機とタイミングに差はあれど2つほど出会います。
ひとつはニンテンドー3DSです。
こちらはGBAの頃に発売されたポケモンルビーのリメイクが発売されるとのことで購入しました。

そしてもうひとつ、こちらは私のゲーム人生の中で大きな出会いでもあるタイトル「GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において彼女の内宇宙に生じた摂動」というゲームのために「PlayStation Vita(PSV)」を購入しました。
いやタイトル長いですね。GRAVITY DAZEは。
このゲームは重力を操作し「空に落ちる」という感覚で移動するゲームでした。
とにかく素晴らしいゲームなので、このゲームについてもいずれ別noteで語らせてください。

この3DSとPSVはセーブをしてからじゃないと終了しづらいテレビゲームと違ってスリープモードという機能(スマホのロックのような感覚ですね)があったので任意のタイミングでゲームを中断出来るという強みがありました。(まぁPSPとDSも出来たんですけども。)

それにプラスして、前述したPS3やこの後お話するWii Uにも通ずる話なのですが、ダウンロード専用で過去の作品(PS1だったりSFC、GBA作品だったり)が蘇っているのです。
PSサイドだとアーカイブス、任天堂サイドだとバーチャルコンソールというサービスです。
このサービスは本当に重宝していて、あの頃のゲーム機壊れちゃってるからと諦めていたゲームが出来ちゃうんですよ。しかもあの頃よりもやりやすい環境で。
このサービスのおかげでやりたかったけど、もう出来ないゲームが色々出来るようになりました。



■ ひとり暮らしとゲーム


高校を卒業し、なんやかんやありつつも専門学校へ進み、ひとり暮らしをしていた時代がありました。
そのときに出てきたゲームが「Wii U」そして、そのソフトである「Splatoon」です。
テレビCMを見てもの凄く興味を惹かれたことを今でも覚えています。
(オンライン対戦がメインと知ってイメージとゲーム性が違いそうでちょっと萎えたりもしたんですけど。笑)

発売と同時に買ったわけではないのですが雪の積もる中、片道20分くらい歩いてショップへ買いに行きました。
上記でもあったようにオンライン対戦にどっぷりとハマッた私ですから、このゲームも一瞬でハマりまして…。
Wii Uってゲームのプレイ時間が1日単位で見れるんですけど、12時間超えの日とかも普通にありました。
ひとり暮らしという環境のせいもあって、予定さえなければずっと遊んでいられるんですよね。
徹夜でゲームして、そのままゲーセンへ。なんていう今では絶対に出来ないような無茶が出来るし、学生でひとり暮らしということもあり最も自由に遊んでいた時代だと思います。笑
アプリからプレイ時間を見れました。私がやってきた中でも1000時間超えはなかなかないですね。



■ その後、そして今。


その後、またしてもなんやかんやありつつも社会人となり、ゲーム機たちも次世代機が飛び出てきます。

まずは任天堂からみなさんも御存知かと思います。
Nintendo Switchです。「Splatoon2同梱版」で購入しました。
この同梱版をずっと待っていて、満を持しての購入でしたね。
Switchのゲームは魅力的なものが多く早く欲しいという気持ちは強かったのですが「Splatoon2の発売時にそれ用のデザインで販売があるはず」と思い我慢していました。笑
実際、予想通り出たので予約開始時間になった瞬間に予約しましたね。


次にPlayStation 4(PS4)です。
これは「モンスターハンターワールド」の登場と共に購入しました。
PS4自体はもっと前から販売されていたのですが、如何せん金銭面的にも厳しくなかなか手を出せなかった代物ですね。
(どうしてもやりたいというゲームがなかったのも理由のひとつ。)
オンラインで友人たちと、新しく生まれ変わったモンスターハンターが出来るというのが購入に踏み出す理由でしたね。

どちらのゲーム機も我が家では最新機です。
そしてどちらのゲーム機も発売から数年経ちますが現役で活躍しています。
それが「今」です。



■ 終わりに


はい、これが主なゲームと私の歴史です。
カードゲームなんかは時期が散らばっているので省いているのですが、殆ど大まかな流れは書けたのかなと。
要所要所で「うおぉ語りてぇ」となる気持ちを抑え「別noteで…。」と我慢しながらここまで来ました。笑
全部語ってたらタイトルである「ゲームと私」の流れからズレちゃいますのでね。
別でと言ったものは全てちゃんと作るのでお待ち頂ければなと思います。

いや、それだけ抑えてもこれだけの長さなんですけどね。(ここまでで約8000文字)
色々思い出しながら書き連ねて行ったということもあり、2日掛かりました。笑
それなのにまだまだ語りたいことがたくさんあるってんだから困っちゃいますね!
今後、この長さのnoteは生まれないと思います!流石に!

それでは、本当に長いnoteとなりましたが、ご清聴ありがとうございました。
また別のnoteで会えたら嬉しいです!


しょぎ

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