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「企業調査と民生委員活動」

夏の終わりごろ、江戸川区の行政より企業調査の要請がありました。
 令和2年に国勢調査の仕事を行っていたので、その関連での推薦 でありました。
 まさか癌で治療中とも言えず「何とかなるさ」と調査員にさせてもらいました、今は余り、バイトもできないので、一円でも欲しいし、少しでも、世の中の役に立てれば、病と闘う勇気になると思い受けさせていただきました。
 調査は意外に簡単な仕事で、何度か現場に立ち寄り、一件づつ調査表を渡していきます、現在はコロナ過なので、回収はすることなく何 度か訪問して、留守であれば、ポストに投函してもかまいませんでした。
 それでも抗がん剤の副作用で高熱が続くときは、一歩あるくたびに目眩と立ち眩み、吐き気が起き、マスクによる呼吸困難、血小板が少なく貧血状態で、いつ倒れてもおかしくはない状態でしたが、使命感が自分を奮い立たせてくれました。
 もし、ここで命果てるのなら、少しでも人の役に立ちたい、その想いが、自らを鼓舞してくれました。
 また、民生委員の活動でも高齢者の見守り活動が行われました。
 癌患者が見守りもないものですが、自分が担当しているところで、不自由を、している高齢者がいれば、直ちに区に繋ぎ、少しでも困っている人の役に立ちたいという気持ちに変わりは、ありませんでした。
 ある日、突然担当の後期高齢者の方から電話がありました。
「民生委員のお兄ちゃん、身体が痛くて起きられず三日も食べていないんだ、悪いけどお弁当を買ってきてくれないか」
 こっちは抗がん剤の副作用で、吐きまくっていましたが、なんとか起き上がりコンビニの弁当を届けたりしました。
 長く続くコロナ過のなかで、一番苦しい思いをしているのは、高齢者と子供たちであります。
 一人暮らしの高齢者は外にも出られず、唯一の楽しみだった、病院などの待合室での会話は禁じられ、外食もできず、同じような、コンビニ弁当を食べ続けています。
 たまに行われていた、健康体操やコミュニティダンスもコロナで 中止、集まってはいけないという規則は老人たちの楽しみを確実に奪っていました。
 少年たちは、前を向いて給食を食べさせられ、楽しみに しているイベントも次々に中止となりました。
 マスクによって表情が読めないから、意思の疎通もまともにできず、校庭で遊ぶことすらできない、自分はせめて空手道場ぐらい、大きな声で気合いをいれて、思いっきり身体を動かせる場だけは潰したくないと考えていました。
 一時支援 金を請求しても、金銭の出入りが良くわからないという理由で何度訂正しても半年以上、塩漬けになり行政書士さんからは「もう無理ですね、あきらめますか」と打診されました、それでもあきらめず、道場をやりつづけたところ、元の後援会長である「ジャパンレーストラックトレッド」の高橋英樹会長から何度も借金をして、なんとか道場を潰さないでこられました。


こんな、駄文を読んでくださり貴方は仏様ですか?