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悲惨な卒園式からの学び

本日、長女の卒園式でした。

やってくれました。さすが、最後まで、期待を裏切らないグズグズ具合。

式が終わるまでは、必要以上に緊張しながら必死で頑張っていたのはよく分かるけれど、終わった途端クラスに戻って最後のあいさつをしている最中からグダグダが始まり、緊張の糸が切れたのか、もうそこからは最悪の展開でした。

最後のクラス集合写真を撮影する際は、何が気に入らないのか撮られるのを嫌がって、1人だけグズグズ言い続けて、園児だけの写真なのに、なぜだか私も園児に混じって撮影する羽目になりました。トホホ。ピアノの影に隠れて写っていないことを願います・・・。その姿を見たママ友からは「今日、黒い服着ててよかったね、黒子写真たのしみやわ~」と笑われる始末。。

担任の先生やお友達との個人的な写真も全く撮らず、会話もせず、ぐずぐず言って、そそくさと帰るという、なんとも悲しい感動とは程遠い卒園式でした。

私は、良いんだよ、それでも。

私の卒園式じゃないし。長女の卒園式だし。

そして、長女には帰ってきてからこのようなことを話しました。「人生には、やりたいことのために、やりたくないことをすることも時には必用なのだよ。」と。

瞬間的な写真を撮りたくない、という気持ちから暴れてグズグズ言いまくった挙げ句、先生や友達との楽しい思い出の大切な時間を台無しにした彼女。ほんの少し我慢して、クラス写真をスムーズに無心で撮影していれば、落ち着いてお友達や先生を最後の時間を過ごせたはずなのに。

自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならないこと。

そして、やりたくないことも時には我慢してする必用があるということ。

この2つを理解するのは難しいのかもしれないけれど、自分で考えて納得してわかってほしいと思う。

これから先の人生、自分の大切なものを守ったり、やりたいことを達成するのに必用なことだと思う。きっと、全てを感情のままに動いていては良くないこともたくさん起こしてしまう。そんな風にならないために、後悔しない人生を送るために、彼女にはこの事を理解してもらいたい。

友達や先生と写した写真が一枚もないことを知って、少しは後悔していたようです。もう遅いけど。過ぎた時間はもう戻らない。卒園式は人生で一度きり。少しずつでも良いから、自分の頭で考えて、何が大切で、どんな風に生きたいのか、そのために自分の感情のコントロールをどんな風にすればよいのか、私も娘と一緒に成長していきたいと思う。

一度きりの人生。後悔しないように。

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