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天下統一恋の乱が伝えること。

これはスマホのアプリゲームなのですが、もうかれこれ2年以上毎日まいにち飽きずに続けています。戦国武将と命懸けの恋をするという何ともオタクっぽい内容のアプリゲームですが、本当にどハマりしてしまい、もはやこれが私のバイブルと言っても過言ではない気がします。

このゲームに出てくる武将や忍び(忍者)、ヒロインの生き方は、今の時代を生きる私をとてつもなく励ますものです。

先日まで実施していたストーリーイベントの話です。伊達政宗を狙った毒入りの食材を手にしたヒロインが、その食材を食べてしまい、生死を彷徨います。命は助かったものの声が出なってしまう、、、といった内容のストーリーでした。結局後日談まで読み進めると声は出る様になりハッポーエンドだったのですが、この物語を読んで、あることを思い出しました。

ああ、私も、声が出ない時があった、と。

3年前、蜘蛛膜下出血を患った時、人工呼吸器を送還していたため声が出せませんでした。手術直後は朦朧としていたのよく覚えていませんが、人工呼吸器が取れるまでの数日間、言いたいことが言えなくて、ひらがな表を指差したり、少し手が動かせるようになってからは筆談をしていました。

痰が出て苦しくて仕方なかったので「たん」と何度も指差ししました。

あと「ありがとう」とよく指差ししたのを覚えています。

死にかけでボロボロで声も出せない状態でも人に伝えたい言葉は感謝の言葉なんだと思います。今思うと、あんな状態でも自分は死ぬとは思わなかったし、正直身体は辛かったけれど、辛いことを考える余裕もなく、とにかく生きているというただそれだけでした。命があるから生きている、ただそれだけ。辛くても何でも、生きていく方向に向かうのが本来の生命のあり方で、生きていくのを助けて励ましてくれる家族や先生や看護師さんには感謝を伝えたいというのが、その時のきもちだったのかもしれません。弱音は吐かなかった様に思います。それは私が強いからではなく、生命とはそういうものなのではないかと思います。

その後、人工呼吸器を外し、発声の練習をしてリハビをを行い、普通に話せる様になるまで3ヶ月ほどかかりました。3ヶ月経ってもまだ大きな声は出せないし、もう大声で歌うことや、子供を怒ることはできないものだと思っていたけれど、いつの間にか大声も出せる様になり、3年経った今では昔と変わらない声を取り戻しました。

時間が解決するなんて、あの頃は信じられなかったものです。でも3年経って今なら言える「時が経てば良くなる」と。

「死ぬ」というのが最も悪い状態だとして、「声が出ない」というのは死ぬことに比べれば大したことないと思える。でも、「死ぬ」ことがないと分かれば、「声が出ない」ことはかなり大ごとになってくる。最悪を経験すれば、それより小さなことは気にせずに進めるはずで、小さなことにばかり目が行くのは、最悪をまだ経験していないか、もしくは忘れてしまっているか。。人工呼吸器をつけて生きてなお、周りの人たちに感謝の気持ちを伝えようとした自分を思い出しました。

あんな状態でも周りに感謝して頑張れたのだから、今の自分はもっと頑張れるはず。環境や境遇に不平不満ばかり感じるのではなく、感謝の気持ちを持って頑張りたいと奮い立つことができました。

とまぁ、「天下統一恋の乱」から、日々刺激を受けて、自分の今の状態を見つめる生活を送っています。とにかく、好きなゲームです。

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