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健康は特別なこと

ネガティブな事を書くのはどうかとも思いましたが、どうもここ一週間ぐらい体調がすぐれません。頭痛がひどく、元々悪い目も余計に見えにくく、正直この文字もよく見えていないままタイピングしています。

生きてればこういう時もある。

健康そうに見える人でも、実際はどうか分からない。私だって、頭が痛くたって幼稚園に子供を明るく迎えに行くし、人前でいちいちダルそうに振る舞ったりせず我慢する。「あーつらい・・・」と思っても、「ちょっとだるいけど、全然だいじょうぶー」と言う。毎日薬漬けで、薬がないと動けないほどの日々を送っているとは、多分気づかれていないと思う。

人の辛さは分からないものだ。

逆に言えば、いくら体調が悪くても知られたくないという気持ちもある。隠すことが美学ではないけれど、いちいち人に伝えても相手に良い影響を与えるわけではないし、心配してもらったところで私の体調が良くなるわけではない、ぐっと堪えて良くなるのを待つ、それだけだ。

この体調の悪さは、きっとそのうち良くなる。悪いときは、これが永遠に続くように感じるけれど、ふと気づいたらいつの間にか体調の悪さは感じなくなっている、そんなものだ。

人はそれぞれ、生まれつき健康な人もいればそうでない人もいて、それぞれ異なる。健康な体で生まれなかったからといって、それが悪いことな訳でもない。例えば私の目が黄斑ジストロフィなのだって、自分にはどうしようもないことで、この特徴を悪いことだと言ってしまえば、もう私には改善する努力の仕様がない。生まれ持った定めを受け入れて、強く生きることも大切だと思う。というか、そうせざるを得ない。そんな風に生まれたのだから、それについて悩むよりも、それを受け入れた上で楽しく過ごしたほうがよっぽど良い。

黄斑ジストロフィで目がよく見えないおかげで、目が見えにくい人の気持ちは分かるし、目がよく見える人にはない感覚や感性が育っているのかもしれない。さらに言えば、今後医学の進歩で私の目は見えるようになるのかもしれない、という希望もある。

ありのままの自分のままで、どうやったら楽しく自由に暮らせるか?そこを常に考えていきたいと思います。

ありのままの生まれ持った特徴を悲観するばかりでは満足した生き方はできないでしょう。

生まれ持った特徴を受け入れて、自分にできることをする。今、私にできることとは、

食事・運動・睡眠 この3つを意識して早く元気になりたいものです。

体が資本。病気をしたり体調が悪くなっったりすると、普段は気づかない健康の大切さが身にしみます。普通に過ごせることは決して普通ではなく、普通の状態を楽しめるのは特別なこと。普通にやりたいことやって、大切な人と楽しく暮らしていくために、健康維持をもっと頑張ろうと思います。

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