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【読了感想】天使の卵

もう何回読み直したかわからない一冊、村山由佳先生の「天使の卵」の感想を書いていきます。
僕が世界で最も好きな小説です。16歳の時に偶然本屋で見つけ、それ以降また読書習慣が戻った運命の小説でもあります。

一言で言うなら、「美しくて、儚い」というのがこの小説の感想です。

ストーリーは特別なファンタジー要素や大事件が起こるわけでもなく、単に三角関係に近く、ハッピーエンドとは言い切れない東京を舞台にした恋愛ものです。
ですが、それを「ここまで美しく描くのか!」と読むたびに舌を巻いてしまいます。村山由佳先生が本当に同じ人間なのかと疑問に感じるほどです。

このストーリーがここまで共感や儚さを出せるのは、前半から中盤にかけての歩太と春妃の穏やかでありながら趣味や嗜好が合う心地よいリズムで流れる会話のやり取り、その会話の中でも実在する場所、本や作家が多数出てくるからでないかと思っています。
具体的にあげると、象の墓場や鯨の墓場、ロバート・A・ハインラインの「夏への扉」、メアリー・ウェズレー「満潮」、西行法師といったように実際に「天使の卵」を読んだあとに調べてみよう、読んでみようと思えます。
他にもE.T.の一文を使ったりと誰もが分かる単語や表現が出てくるのはいつも親しみを感じます。
そういった親しみで読者と物語の距離が近くなるからこそ、終盤での夏姫の言わなければよかったと後悔する一言や、春妃の最後、歩太の愛情表現などがより一層悲しさや儚さの共感を引き立てている気がします。

登場人物もそれぞれが悩みがあったりはしますが、何か特異な能力があるわけでもない普通の浪人生で19歳という未成年の歩太、歩太よりも7歳上の精神科医の春妃、歩太の同級生で恋人であると同時に春妃の妹である夏姫の三人がメインであり、皆現実にいてもおかしくない環境下にある人たちです。三角関係も特別特殊な環境ではありません。
ただ、ここで最も僕が特殊というか凄いと感じるのは、村山由佳先生は女性でありながら、男性である歩太の心情や仕草、皆の前では「オレ」、心の中や春妃の前では「僕」と使い分けなど事細かに書けるのが絶妙です。

そのため歩太と春妃のやり取りの描写はいつもその場で劇でも見ているかのように目に浮かびます。

そして、歩太と夏姫は未成年でありながら世間では高校を卒業しているからある程度大人とされる年齢です。
そんな二人を見ながらも後半まで自分の心に一線を引いている春妃はより一層大人びて見えます。

歩太に対して「素敵な眉のひそめかた、知っているのね」と言ったり、父親が入院している病院で歩太のことを周りの医者に聞かれても「いいえ。お友達よ」と対等に扱っているシーンは特にそれを象徴している様にも感じます。
ですが、そんな春妃もつらい過去や、苦しい現実を抱えていますが、世間では立派な大人です。しかしそれでも弱さや子どもに感じる部分はあって、本当の大人ってなんだろうかといつも疑問を持ちますが、回答が出たことがないです。

この大人とは何かというのは歩太も春妃に対して対等になりたいためにずっと考え続けています。
今、「天使の卵」のテーマって大人って基準は何かということも含まれているのではないのかと思います。タイトルの「卵」というのはまだ孵化もしていない、つまり何者でもないからこれから何者かを考えればいいというメッセージなんじゃないかと今回読んで改めて思考を巡らせたことでもありました。

ラストは割と他の作品でもありそうな形で夏姫にバレてしまいます。ですが、それすらも村山由佳先生が書くと読んでいて安っぽくならず、ピシッといった効果音と共に空気が凍り、心にヒビが入る印象を受けます。そこから夏姫は春妃に対して最後の言葉になってしまいますが、後に言わなければよかったと後悔になります。歩太もです。抱きしめおけば、愛していると言えばと後悔します。

特別な演出はないのに村山由佳先生の言葉選びが絶妙なため、僕も絶対に後悔したくないと息が詰まる、今という人生で何が最後になるかわからないんだと緊張が張り詰めて、刀を喉元に突き付けられている気分です。

だから、春妃の死というのはある意味その緊張と後悔の象徴で、「永遠の後悔をしないように生きなさい」と言われているように心に響いてきます。

歩太は最後はおそらく春妃を描いたクロッキーを持ち、部屋を出ていくのでしょう。ですが、それは生きる光なのか、後悔の闇なのか読者が考える形で終わっています。毎回ここで僕は考えが変わってしまいます。

今回は光なんだと思いました。

最終ページの「そして僕は~春妃があふれていた。」

この表現は、春妃はいつでも歩太のことを見守っているから、前に進んで欲しい。歩太のクロッキーの中で春妃は永遠に存在し続けるから。

という意味なのではないのかなと思います。それは思い出にしてしまって心に封印し続けるからこそ、ここから先誰も愛さないといった誓いを立ててしまうのかもしれません。でも僕は一生に一人そこまで人を愛することができて、短い時間でも相手も自分を愛してくれたということは万人が経験できることではないから、その経験、時間も一つの生きる希望、光となるのではないのかなと思います。

もう一人夏姫については深くは書かれていません。ここから歩太とは別の後悔と罪に近い感情を抱くことでしょう。真につらい、闇と共にこれから生きていくのはむしろ夏姫の方なんだろうなぁと思います。

ですから、そんな二人が残ったからこそ「天使の梯子」や「天使の柩」に続いていくのでしょう。

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