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懐かしくなったので友について記す 5

芋坂跨線橋は夕暮れだった。無数に敷かれた線路の上を数分おきに電車が通過して、そのたびに鉄輪がきしむ音が辺りに響く。僕たちはその音が聞こえなくなるほど、互いの話に集中していた。

りょうは浪人して大学に行くことを告白してくれた。僕は無名の職業学校に進学して、早く就職するつもりだった。

思えば、僕は受験に失敗したおかげでこの愛すべき友人と出会えた訳だが、僕は受験の失敗によって自分の行き先が分からくなり絶望する、という強いトラウマを持っていた。

しかし彼は、やりたいことのためなら躊躇わずに自分らしく人生を生きるという。

僕は何故だか、そんなりょうの話を聞いているうちに少しずつ腹が立ってきた。

大好きな友だちと同じ街を歩けなくなること。分かっていたことだし、しかも誰も止めることができないことなのに、それをあっけらかんと話す彼のことを僕は、憎いとさえ思った。

そんな風に自由に生きていった先にある彼の輝かしい未来を想像して、自分の劣等感の傷が開いたのかもしれない。

人生は勝負だ、足踏みするくらいなら違うことに挑戦するべきだよ。などと無軌道に食ってかかる僕を、彼は理解できないという様子で見ていた。

それはまるで、初めてあったあの日、はつらつとしたりょうに曖昧な返事しかできなかった僕を見る目のようだった。

やっぱり僕はりょうのように生きることはできない。でも、きっと彼と離れて生きていくことはできない。

そんなことを、夕焼けに染まる日暮里駅を見ながら思っていた。

新世紀が始まっても、僕たちは引っ越すたびにすぐ近くに住み、お互いの家を行き来した。りょうは結局、大学なんか行かずに自由気ままにすくすく育ち、糸のない雲のようにのびのびと生きていた。

そんな彼と過ごす時、僕は自分が全く緊張していないことをしみじみと感じることができた。

家族を含めても、そんなことを思える人はそういるものではない。このことは、ずっと僕の心の支えですらある。

今日、ふと思い立ってりょうに連絡してみた。既読はつかない。

ノスタルジーの任せるままに綴る、なんの足しにもならない友人譚

おわり

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