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懐かしくなったので友について記す 3
よくよく考えると、四角関係であったのは一年あまりだったと思う。漫画のようなシチュエーションは、実はそれほど長い時間ではなかった。
気づけば、「りょうとみか」はいくつかの大きなケンカを経て(この情報ももちろん筒抜けである)、4人で誕生日を祝うことはできなくなった。しかし、僕は今でも、この一時期のことを恥ずかしげもなく「奇跡」だと思っている。
もしかすると、僕から見て異世界の主人公であったりょうと同じラブストーリーに入れているということ自体が、僕のゆがんだ喜びだったのかもしれない。僕も、りょうが演じるドラマのいち出演者になれたような気がしていた。
この時は、相手を好きであるとか、相手を幸せにしたいといった今僕が考える愛情よりも、こんな自分でいたい、こんなことをしたい、という自分に向けた愛情が優先していたように思う。しかし今のところ、それが自分だけの性質で極めて悪かった、とは思わない。
貧乏学生だった僕は、純粋なる生活費のためにおよそ10種類のアルバイトを経験したが、このうち3つはりょうと一緒に働いた。両国国技館の清掃もその一つだった。
相撲を知らない人はいないと思うが、国技館の客席をウロウロして、お弁当のごみや空きビンを回収するアルバイトがあることは、あまり知られていない。なぜなら、NHKの素晴らしいカメラワークによって、薄汚いツナギを着た僕たちの姿は映らないようにされているからだ。
僕たちは、場所中の15日間は毎日国技館に通い、ビールの匂いが染みついた黄色いツナギに着替え、元力士らしい大柄なじいさんにあれこれ叱られながら働いていた。
出勤すると、おじいさんから自分の担当局面が指示されるのだが、僕たちは「自分の担当は東だ、俺は向こう正面だ、結びの一番が近づいたら早くハケよう」など、日本でここでしか交わされない会話を日々繰り広げていた。
仕事内容は実に単調であったため、僕はりょうに「実は日本語が分からない留学生」「お兄ちゃんに頼まれて嫌々バイトにきた替え玉の弟」「さっきフラれたばかり」などの演技指導をし、シチュエーション遊びを楽しんでいた。
ある時、客席に忘れられていた未開封の瓶ビールを拝借し、僕たちは墨田川の堤防の上で口にしてみた。もちろんとても飲めたものではなかったが、その味は、父親のコップから舐めてみたそれとは大きく違っているような気がした。川には涼しい風が吹いていたが、昼の日差しを蓄えたコンクリートは、まだほんのり暖かかった。
僕たちは、幸運にも何人かの気の合う友人に恵まれたが、僕たちが迎える最初の冬、りょうが「スノーボードに行こう」と言い出した。
ノスタルジーの任せるままに綴る、なんの足しにもならない友人譚、つづく。
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