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懐かしくなったので友について記す 4

ある夜、僕たちは新宿のバスターミナルにいた。今でも思うことだが、新宿の夜空はきっと日本で一番明るい。

僕たちは、街で見かけるスキーツアーのパンフレットの中で一番安いツアーに申し込み、誰一人板やブーツなど持たずに、眠らない街に集合したのだった。

最初に行ったのは斑尾、木島平あたりだったと思う。初心者の僕たちは、散々雪山で転んだあとに深夜まで賭けトランプをして、今度は笑い転げていた。

これと関連していたのかどうかは分からないが、りょうはギャンブル依存のきらいがあった。

お互いに、待ち合わせに遅刻したくらいでケンカするようなヤワな関係ではなかったが、スロットで当たりを引いたからという理由でりょうが遅刻したとき、僕ははじめてりょうを真剣に怒った。

大好きなりょうの行く先を心配したのだと思うが、ひょっとすると、単に僕がそんな出来事を起こしたかったのかもしれない。思えば僕は、そんな身勝手な理由で周りの人にいつも迷惑をかけていた。

しかし、繰り返すが、今のところそれが自分だけの性質で極めて悪かった、とは思わない。
「非の打ち所のない青春を過ごした人間などいない」
このことに気づいてからというもの、僕は非の打ち所しかなかった自分の青春を振り返っても、胸の痛みが若干和らぐようになった。開き直った、とも言うのだろう。

とにかく、色々な理由によってりょうと僕の人生は、ゆっくりと距離が生まれはじめていた。まるで、並走してきた山手線と京浜東北線が、少しずつ離れていくように。

その2つの電車が見下ろせる橋の上で、3年生になった僕たちは肩を並べ、自分たちの将来について話し合っていた。

その名も、芋坂跨線橋。
時は2000年、僕たちの新世紀が始まろうとしていた。

ノスタルジーの任せるままに綴る、なんの足しにもならない友人譚、つづく。

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