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教員になるということ

柄にもないnoteのアプリをインストールしてからはや1ヶ月。何を書こうかと考えていたらこんなに時間が経ってたけど、今回いいお話をする機会があったので、そのお話から感じたことを残したいなと思います。

事の始まり

事を遡ること2週間前。突然の不在着信。そこには教育実習生の時に指導教官をして頂いていた先生(以下、K先生)の名前があった。バイトを終えてから折り返し電話をかけると、一実習生(現役の時にもお世話にはなっていたけど)である私の将来を心配して掛けてきてくれたとのことだった。その流れで帰省の時にお会いする流れになり、当日を迎えた。

お話の中で感じたこと

約1時間の会話の中で、私の心に刺さったものをここに残しておきたい。

・生徒たちにこの高校生活でよかったと思ってもらえるのには、教員側の軸が大切である

教員をしていく上で1番大切であるものであるけれど、まだ私の中では上手くこれがまとまってなくて、人生を瞑想している原因のひとつがこれ。人並みに就活をして、でもやっぱり教員やなと思って教員志望に変えた決め手が「やりがい」。お給料に見合わない、多忙、とよく言われるけど、それでも私はやっぱり人の成長に関われる教員という道を選んだ。でも、これから何十年と教員をしていく上での自分自身の軸がまだ定まってない。この軸がブレブレだったら、生徒に伝えたいことが曖昧になってしまって、生徒を混乱させる一方である。K先生は、「子供たちの5年後、10年後に生きてくることを伝える」という信念の元、日々の教員生活を送っている。私もK先生のような自分の軸を見つけて、胸を張って教壇に立ちたいなと思う。

・教員が教えるのは知識ではない。ロボットじゃなくて、自分でなければいけない、自分である必要は何か、を考えて生活すること

学校と言えば、勉強する場所である。しかし、私はそれだけではないと思っている。K先生曰く、自分でなければならない、自分にしか伝えられないことを伝えるのが教員の仕事だと。塾を悪く言うわけではないが、受験合格のために知識を教えるのは塾でも十分である。それでも学校教育がある理由を考えた時に、人間的な部分を成長させるのが教員の仕事なのではないか、と考えた。自分が経験してきたことを生徒に伝え、生徒自身の自己完成に繋げる。そのためにも、いろんな事を経験して、自分自身の幅を広げていきたい。

・自分の経験全てを題材にして生徒に物事を伝える

自分自身の全て(紆余曲折あると思うが、楽しかったこと、辛かったことなど全ての経験)を題材として生徒に伝える。この言葉が一番心に刺さったのと同時に納得できた。私が高校生の時を思い返してみると、自分の経験を交えながら授業をしていたK先生の話は自分の中で確実に刺さっていたし、この人の言うことは共感できると思っていた。人間楽しいことや嬉しいことだけじゃなくて、悲しいこと辛いこともたくさんある。そんなマイナスの面も生徒に開示し、今後の自己完成に繋げる題材の一つとして、教員の人生経験そのものが非常に重要な題材、教材なのだと感じた。生徒も教師も同じ、一人間なのだから。

・高校は安全に失敗できる最後の場所。でも今の教員は失敗するなと言う。本当にそれが正しいのか?

このK先生の考えに、私は賛同する。高校から大学にかけての大きな変化は、自分にのしかかる責任の大きさだ。大学生は何をするにしても自由が効く一方、失敗や責任も自分に返ってきて、失敗することが怖くなる。だからこそ、法的にも、環境的にも失敗することが許される、失敗から守られる場所である高校生のうちに、たくさんの失敗を重ねておくべきだなと感じた。これまでの人生の中で失敗を経験していない、成功体験しかしていない人と、何度も失敗しながらもその都度逆境を跳ね返し、今を生きている人と、どちらがいざと言う時に強いのか?私は圧倒的に後者だと考える。失敗をしているからこそ、こけ方や立ち直り方を知っている。世の中失敗しない人間なんていないからこそ、安全に失敗できる高校生のうちに、こけ方、挽回の仕方を自分なりに知っておくことが大切だと思っている。「失敗=悪」と捉えられがちだが、失敗も一つの経験。どんな人間も挫折を経験し、強い人間になることが大切なのではないか?


・今の世の中色んな事件が起きている。それを最後に止められるのは教育しかない。自分の前を通った子たちだけでも、この人に出会えてよかった、この人あの時こういうこと言ってたから、こう考えて行動しよう、って思ってもらえるように。

私自身にとってのこのような先生がK先生である。そして、これがK先生が教師をやっている理由なんだなと思った。就活してる時も「私は一体何がやりたいのか」と考えていたが思いつかず、小さい頃から憧れの存在であった教員を志すようになったが、私が教師をやる理由を考えた時、K先生の考えに通ずるものがあるなと感じた。私自身、小、中、高、大学と環境面で全く違う場所で育ってきた。小中は田舎の荒れた学校。窓ガラスが割れたり、警察が来たりと世間一般の小中学生とはひと味違う学生生活を送っていた。この環境の中で、私は中学生ながらにして世の渡り方を学んだ。高校生になると状況は一変。県内有数の進学校に進学し、勉強面でもプライベート面でも落ち着いた、充実した生活を送った。大学生になると京都での一人暮らしを始めた。日本全国からいろんなバックグラウンドを持った人との出会い。自分の価値観を180度改めさせられた。今まで以上に人を見る力だったり、世の中について知る力だったりを得ることができた。そんな私は今、教師になるための1歩を踏み出そうとしている。まだ未熟ではあるが、この22年間で培った価値観を活かしながら、進路指導や生徒指導をし、幅広い世界や価値観を知っている子供たちを育てたい。この想いの元、私と出会った生徒たちが、私に出会えてよかったと思えるような働きをしたい。

最後に


今回、運良く直接K先生とお話する機会を得たが、私自身にとって非常に有意義な時間であったことは間違いない。目標があやふやになりかけていたこの8月に、再び教師としてがんばりたいという思いが強くなった。生意気だった高校生の時に見ていたK先生と比べて、教師の立場として見るようになったK先生は人間的に尊敬する人であるし、私の価値観と似た部分が多く、共感する人でもあると感じるようになった。私が一番尊敬する先生を聞かれた時、私は一番にK先生の名前を挙げるだろう。そんなK先生のような教師になるため、まずは院試合格。そして自信を持って教壇に立てる教師になりたい。

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