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キヨちゃんが正解

 小学校5年生の時、隣の席のキヨちゃんは嫌われていた。

 勉強が全くできないのと、それを気にしないマイペースなところ、よく見ればかわいい顔なのに、あんまり身綺麗にしてない感じ、とか。背が高くて、体つきはもう大人っぽいのに小さくなったピンクの服をいつまでも着てて、スカートが短すぎ。そんなだから、とても危なっかしく見える。

 キヨちゃんが嫌われるのは仕方がないなと私は思ってた。良く男の子にしつこくからかわれて泣き顔になってるのも、イライラするしね。

 女の子は誰もキヨちゃんと遊ばなかった。言ってる事が良くわかんなくて、ズレてて、ズレてる事を本人も分かってない。めんどくさいから無視してると、また泣き顔になるし、つまり楽しい事が何もない。

 男の子の何人かはキヨちゃんと遊ぶのではなくて、キヨちゃんで、遊んでた。からかいまくって泣くまでそれをやるのが遊びなんだと思う。  
 足し算を間違えたとか、怪獣の名前を知らないとか、上履きで校庭に出たとかいうのを繰り返しバカにする。とてもくだらない。

 私はそういう幼くてくだらない男の子たちが大嫌いだったから、「やめなよ」って言ってやったこともある。男の子たちがキヨちゃんをターゲットにすることと、短くなったピンクのワンピースから伸びた脚には関係があることも、私はわかってた。

 そのせいか、キヨちゃんは私の顔を見ると必ずニコニコしてた。自分の味方だと思ってたんだろう。でも別に私は彼女が好きなわけじゃなかった。仲良くなりたいわけでもなかった。

 そんなキヨちゃんがある日私がハッとするようなことを言った事がある。それはこういうセリフだ。 

「名前を間違っているから何回も来るんだよ」

 その時、何が何回も来るのか、ってところが重要だった。それはこの世ならぬもので、クラスの女の子のひとりが、毎日校庭に変な犬が見える、と言って騒いでいたのだ。

 そんな犬は他の誰にも見えなかったのだけれど、その子はものすごくおびえていて、決してひとりでは校庭を歩かなかった。
 犬は彼女が通りかかると、校庭の暗いところから飛び出して来て、歯を剥いて唸るのだそうだ。彼女は友達の腕にしがみついて「いや!犬が!来ないで!」って悲鳴をあげるが、友達にはそんなもの見えない。

 昼間から出てくる幽霊?いや、幽霊が夜しか出ないのかどうか、そもそもそんなのいるのかどうか、私にはわからない。

 その子が騒ぎはじめてからは、男の子たちはキヨちゃんじゃなくてその子をからかうようになった。犬の真似をして飛びかかるふりをしたり、お前頭がおかしくなったんだろうとか、それを彼女が泣くまで繰り返す。

 キヨちゃんには平和な日々だったわけだけど、そんな時にそのセリフを言ったのだ。
 私は驚いて「名前って?」とききかえした。

「あれは犬じゃないもん」
「え?幽霊のこと?キヨちゃんにも見えるの?」
「見えるよ。怖くないよ」
「何なの?」
「たぶんタヌキ」
「えーっ?」

 キヨちゃんにも変なものが見えていることをその子に教えてあげようかとも思ったけど、やめた。私はその子が嫌いだったからだ。キヨちゃんのことは好きじゃないだけだけど、その子は嫌い。その子はキヨちゃんと話す時も、明らかに見下げるような態度をとってたし、自分だけが不思議なものを見ることに対して、ちょっと自慢げでもあったから。そんなのは、あの男の子たちと変わらないぐらいのバカだ。キヨちゃんもあの子が嫌いなはずだ。

 私はキヨちゃんが怪獣の名前も覚えてないことなど思い出し、図書室で動物図鑑を借りて、キヨちゃんに見せてみた。ホンドダヌキのところを指さして、
「タヌキってこれだけど、間違いない?」ときいた。
「うん。これだよ」
「イヌだって言われたから出てくるの?」
「そうだよ。違うよ違うよ良く見ろよってうなってるもん」
「じゃ、タヌキって言ってあげれば出てこなくなる?」
「どうかな。ちーちゃん泣くの面白いから。タヌキは遊びたいんだよ」

 私は声をあげて笑った。タヌキの幽霊だか何だか、とにかくそのこの世ならぬ動物が、人間をからかって遊んでるのか、と思ったら、なんかこのままでもいいかな、別に助けてやらなくていいか、という気になった。あの子のことなんかどうでもいい。キヨちゃんが彼女をちーちゃん、と愛称で呼ぶのも意外だった。

「あのさ、キヨちゃん、クラスの男の子たちも、キヨちゃんが泣くから面白がってからかいに来るんだよ。同じだよ」
 私はこの時初めてキヨちゃんに、そのことを言った。キヨちゃんは目を丸くした。
「そうだったんだ」
「それからね、小さくなった服はもう着ない方がいいよ」
「なんで?」
「男の子たちにはエッチに見えるから」
 私は他の誰にも聞こえないように、うんと低い声で言った。

 しばらくして、変なものが見えるその子は騒がなくなった。キヨちゃんが言った事がほんとなら、遊びたくて出て来たタヌキの幽霊とやらは彼女に飽きたんだろうと思う。タヌキだとわかってもらうまで出てくる努力に価値はないと思ったに違いない。わかんないけどね。

 騒がなくなってからも男の子たちはしばらくは同じネタでその子をからかっていたけど、それもそのうち下火になって、彼らはまたキヨちゃんにちょっかいを出して来た。

 だけどキヨちゃんはもう決して泣かなかった。小さくなったピンクの服も着なかった。
 男の子たちはそれでも一生懸命キヨちゃんに話しかけていたけど、それはもうからかいとか意地悪とかそういう子供っぽい振る舞いとは違って来ていた。

 学期が変わって席替えになる時、あたしはキヨちゃんにきいてみた。
「あのタヌキ、どうしたかしらね?」
 キヨちゃんはにっこり笑った。
「私が話しかけてあげたよ。タヌキさん、イヌなんて呼ばれて嫌だったでしょって」
「そしたら?」
「喜んでた。時々遊んでくれる?ってきいてきた。まだ子供のタヌキだったから」
「遊んであげてるの?」
「ううん。遊んであげるよって言ったら、それから出て来てない」

 キヨちゃんはそれからも私と目が合うとニコニコしてたけど、席が隣でなくなったからしゃべってない。

 大人になってからキヨちゃんのことで思い出すのはこのことだけだ。彼女はクラスの誰よりも早くに結婚したと噂で聞いた。

終わり


おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。