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あの人は私の服を見ていた

季節の変わり目の服が好き

 5月に入りました。暑かったり寒かったり乾いていたりじめじめしたり、毎日予想のつかないお天気の気まぐれが続きます。
 そうよね。春ってだいたいそう。梅雨に入る前のなんか不安定なモラトリアムな気候で、毎年違っていたりもします。要するに何を着たらいいのかいまいちわからない!みたいな感じです。でも今しか着られない服もありますよね。

 この時期というか、要するに季節の変わり目に、道行く女の人たちが何を着ているのか、見ているのがあたしは好きです。
 温度が温かいほうに向かうときに、待ってましたとばかりに出てくるお洋服って、なんか即興性のある音楽のようで、アイディアにあふれているような気がするからです。思い付きとも言えるかしら?服装計画に何かおまけというか、それまでにないもの、飾りや遊びのフレーズが出てきて、服の表情が豊かになってきますよね。

 それは真新しいシャツだったり、逆に去年の春にお気に入りだったであろうような、着こなれてすこしよれよれになったサマーヤーンのニットだったりします。どっちもいい感じ。
 コートの下だとうまくいかないような特殊な袖の形や、軽い素材の、風になびくスカーフ。若草色と薄いベージュの組み合わせだったり、短い丈のカーディガンとか、透け感のあるジャケットや、荒い編みのベスト、ステッチを強調したパンツ。つばの広い帽子やカジュアルなキャップ。少し光るアクセサリー。きれいなプリントの小物とか。ウエストを強調したシンプルなデニムのワンピース。デコルテを見せるセクシーなカットソーと、膝から下が透けて見えるような長いシフォンのスカート。

 なんでもいいんだけど、それまでの重たい暗い服から解放された感じが出ていると、ああいいな、自由で、楽しんでいて、って思うわけです。いかにも今年らしい、これから流行りそうなシルエットや素材やアイテムを、往来の人達の中に見つけるのも好きです。トレンドをフォローした要素は、最初はちょっと軽薄に見える。だけどだんだん景色になじんで来ます。
 うんと短い間に服の意味が変わってゆく、そういうさまを見ているのが好きなのです。

黒いTシャツと黒いシャツと黒いカットソーと黒いタンクトップと黒いワンピース

 とかいいながら自分は黒いTシャツと黒いTシャツと黒いTシャツをたたんでタンスにしまいながら、黒いタンクトップと黒いカットソーと白黒のスカーフと黒いワンピースと黒いパンツを洗濯して干したりしてるわけですね。

 自分は黒っぽい服に飽きることはあんまりありません。黒いものがきれいに見えるように赤いタンクトップとか、アーミーグリーンのシャツとかミントグリーンやブルーのカーディガンを買ったりします。あるいはそれらの色がきれいに見えるように黒いものをせっせと買い足すわけです。

 かわり映えがしないなあと思って、少し反省して、今日はちょっとだけ色味を多めにして出かけました。アーミーグリーンのよく光る素材のワイドパンツに、黒い丈の長い柔らかいノースリーブのトップスにして、シルクのミントグリーンのカーディガンにして、ショルダーバッグも濃いブルーグリーンのやつにしました。帽子も紺色。ウッドビーズのネックレスもつけて。うわー春だな、みたいな。

 外に出たらかなり年配の女性が軽やかな服装で歩いていました。小柄な人で、スカートがひざ丈。ジャケットが私のパンツと同じようなグリーンでした。全体にタイトなコンパクトなシルエットで、ハイキングに行くようなつばのある日よけ帽をかぶっていたと思います。
 その人はすれ違う時に、少し歩みを緩めてあたしを見ていました。
 あ、彼女は人の服装を見ているんだ、あたしと同じように、と思いました。こちらはゆったりしたシルエットですからジャンルが違うけど、ジャンルが違う服を見るのもいいものです。

この道でよくすれ違った老婦人

 さあっと記憶がよみがえりました。この道でかつてよくすれ違ったご婦人がいたのです。私よりずっと年上で、真っ白な髪の毛をみつあみにしていて、いつも独特な服を着ていました。色や素材や組み合わせ方がアイディアにあふれていて、あたしはいつも彼女と出っくわすことがとても楽しみでした。

 30代でこの土地に引っ越してきて、その楽しみは20年以上続きました。明らかに若い人用の安価な服を上手に着ているときもあったし、アンティークでしか見つからないだろうなと思うようなコートの時もありました。ピンクの毛皮のベストやチェックの帽子。コンビの靴。思いもよらないパターンオンパターン。何回驚いたかわからない。立ち止まってもう一度振り返って見てしまったことも何度もあります。
 そういえば彼女の服は季節に関係なく、いつも楽しかったなあと思い出しました。

 ある時言葉を交わす機会があり、服装をほめてもらった時にはとても心が弾みました。それで、相手もあたしを見ていてくれたことがわかったのです。10年ぐらいも前だったでしょうか。
 その後一度お招きにあずかった一軒家に、もうその老婦人はいません。もしもどこかに引っ越して生きておられるなら90歳は過ぎておられるかと思います。
 彼女が懐かしいです。意図せずに自分が楽しいものを着ておられたのでしょうに、結果的にあたしはほんとに楽しませてもらっていました。

 ほとんどの人にとっては異質で変でやりすぎだったとしても、自分が楽しい服装は良いものです。それを見かけるだけで、まったく関係のない人も楽しいとしたらもっといい。
 もしかしたら自分の母もそんなだったかもしれません。(家族は見慣れてしまっていたけど、とにかく死ぬまで着道楽でした。)

自分も少しはそういう要素を持っていよう、これからの年齢がその分かれ目だな、と、件の老婦人を思い出して思いました。あたしが彼女を発見した時、彼女は60台だった計算になるからです。
 これから20年は楽しまねばと思いました.


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美容ルーティーン

おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。