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母の命が、終わろうとしている。

全身転移性の骨ガンでありながら、無症状だった母の状況が変わったのは、74歳の誕生日を祝って数日後だった。

そんな母の容体が急変したのは、昨日。
お手伝いしていたイベントスタッフのしごとを無理を言って早退させてもらい、その足で向かった先の病院で会った母は、車いすに乗り、元気がなかった。車いすに足は浮腫みで痛そうで、自力で足台に乗せることもできない様子だった。

私と娘でマッサージした。


マッサージ、もっと早くしてあげればよかった。
母は私の施術を定期的に受けていたとは言え、施術現場以外でほんの少しでも母の体に触れた記憶がない。


そして、母は一晩であっという間に衰弱した。
電話の声は別人のようだった。


お彼岸のお墓参りを欠かさなかった母。
予定していた今日のお墓参りに直前すぎる入院となり、母を除いた父と私、息子と娘の4人でお寺を訪れた。
その最中に母から父宛に電話が鳴り、父は私や息子、娘にも聞こえるように音声をスピーカーモードに切り替えた。

病院へ持ってきてほしいものを一生懸命父に伝えようとしている母の声は、あまりに切なかった。ほぼ、喋れていない。
その上、少し耳が遠くなった父は、そんな母からの電話に何度も聞き返し、会話が成り立たない。
不思議と私は母の言葉が全部聞き取れたので、「○○と、○○ね?わかったよ(^^) ごはんは食べられた?(^^)」それだけ確認して、電話を切った。

母の先が長くないのが、痛いほどにわかる。
きっと二度と、母が病院から帰ることはないと思った。
悲しくなった。
私の母が、もうすぐ死んでしまう。

あまりに親不孝だった私は、結局、母の愛情にお返しできなかった。

一緒に買い物に行くことも、一緒に料理をすることも、恋の話をすることも、車であちこちドライブすることも、子供の頃のように布団を並べて寝ることも、私の一番好きな母の写真のように母を笑顔にすることも、もう私ににはできない。
母の体力が、もう持たない。
少しずつ関係性がよくなったここしばらく、これらのことを今後少しずつでもかなえていきたいと思っていた。
でも、もう無理だ。

母に一言伝えておかなければ後悔する。
早くしないと母は死んでしまう。
伝えなければ一生後悔する、強烈に後悔する気がした。
お寺を出て4人で向かった喫茶店に着くなり、私は娘を助手席に座らせたまま母に電話をかけた。
母はもう、きっと、電話を手にすることさえ辛い。
どこに電話を置いたか、枕元を探ることさえしんどいのはわかっている。
でも、もし電話を取ってくれるなら、一言でいいから伝えておきたいことがあった。

しばらく電話を鳴らしたが、出る気配はなかった。
ダメかぁ・・・と思ったときに、母が電話に出てくれた。

「何しとるん?」と聞くと、看護婦さんが部屋にいて、でも今からもう出ていくよとのこと。
声が途切れ途切れ、口もろくに動いていないのが聴いていてわかる。

「伝えておかんと後悔しそうなことがあってさ」と言うと、「誕生日のお祝いか?まぁ、あんなもんやけどなぁ・・・」と母は言う。
「あんなもん?(笑)、ごめんけど、まだ何も受け取ってないわ!(笑)」

だって実際受け取ってない。笑
(後から父に聞くと、「もし病院から帰れなかったら渡して」と、私宛の誕生日祝いを母から預かっているそう。ちなみにまだ受け取っていない。)

「まだ受け取っていない」という私に、母が返してきた言葉が「あれ?ほんなら、何やったやろ?なんかしたかかいな?」ととぼけているようで、つい爆笑した(笑)。
その後に話した母の声が、ちょっと元気になった。

『いや、違う。プレゼントじゃなくて。私を生んでくれてありがとう。』
と伝えた。

母は、掠れ切った声で、
『まぁ・・・そうか。生まれてきてくれてありがとう。』
と言ってくれた。

「なんか、ちゃんと伝えとかんと後悔しそうやからさ(笑)、言うとこか思て。笑」
もう一回言いたくて言った「生んでくれてありがとう」は、私が泣きそうになってしまったのと、母が何か言い出したのとが重なって、母には伝わらなかった。

「ごはん、食べた?」と聞くと、「食べてへん」と言う。
私:「病院から、(食事)出るのは出たん?」
母:「出たけどなぁ、食べてへん」。
私:「ほんなら、飴ちゃんくらいやったら食べれる?」
母:「飴ちゃんなぁ・・・そうやなぁ、飴ちゃんやったら、食べれるかもしれん」
私:「ほんなら、夕方の荷物に入れとくわ」

母は「頑張る」と言おうとしたけれど、私は母に、頑張らなくていいよと伝えた。
両乳房を乳がんで失い、そのたびに抗ガン治療をした母。
だからこそ、今回はそれをしないと決めた母。
「先生にも、自然のままにしてほしいって言うとるんや」
母は答えた。

私はもう一度あらためて「生んでくれてありがとう」と言った。

3回言ったうち、2回は母に届いた。

でも、後悔した。

これを、昨日、母が病室に消えてしまう前に、その後姿を見送る前に、ちゃんと目を見て伝えるべきだった。そして、抱きしめればよかった。

その後帰宅した息子と娘と私は、家でそれぞれ過ごした。
ソファでうたた寝をしたり、山で積んだ花を生けたり、スマホを見ていたり。
静かに、いつも通り、それぞれが過ごした。
昨日夜、急遽帰省してくれた息子は、一旦京都へ戻る決断をし、17時に見送った。

あんまり長くないんだろうな・・・今夜とか明日とかなんだろうな・・・と思いながらいたら、父から電話があった。
2時間ほど前。21時ごろ。

メールしても電話しても母からの反応がなくなり、おかしいなと思っていた矢先、病院から電話があったという。

血圧の高低差が激しくなり、呼吸もかなり浅くなっており、医師と相談しながら最善は尽くしてみるが、早ければ今夜が山だとのこと。
状況によっては深夜に緊急で電話するかもだから心づもりをお願いしたいとの連絡だったという。

実感がない。
でも、母が死んでしまう。
伝えたいことがたくさんあった。
やり残してしまったことがあまりに多すぎる。

一緒に買い物に行き、美味しいものを食べ、一緒に笑いたかった。
いつからか見なくなってしまった母の全力の笑顔を、もう一度見たかった。

中学生で反抗期を迎えて以来、30年以上折り合いがつかなかった母。
その間、私は心無い言葉をどれだけ母に浴びせただろう。
愛する一人娘に、一言冷たいことを言われただけでも寂しかったはずなのに、私は母と会話するたびに、冷たい言葉を浴びせた。
いつからか、目を見て話した記憶もない。
関係性の崩れは大きくなるばかりだった。
それでも私を心配し、私を愛してくれた母。

ちょうど2年前、45歳の私の誕生日。
母と私との関係について、母はたくさん傷ついて疲れ切っていたはずなのに、自分の誕生日とほぼ同じタイミングで長年一緒に生活したパートナーと別れ借家を借りて一人暮らしを始めた私に、母は私に「よぉ頑張ったなぁ」としみじみと言った。

母の方が頑張ったのに。

きっと次に会う母は、昏睡状態か、あるいは命を終えた母。
それでもいいから、手紙を書こうと思った。

生んでくれてありがとう。
一人娘なのに、ごめんね。

そう書いていて、気が付いた。
今日電話で伝えるべきは「生んでくれてありがとう」だけじゃなかった。

「愛してるよ」
伝え忘れた。
母の誕生日を祝って以来、「母が生きているうちに’愛してるよ’って言おう、言えるかな、いやどうだろ、いや言うんだ。」って、あんなに思っていたのに。
言えないままになってしまった。

そして。
手紙。
母へ手紙を書くなんて、いつからしていなかっただろう。
結婚式で読み上げた両親への手紙は、正直口先だけで書いて読み上げた手紙だった。
反抗期真っ只中のまま結婚した私にとって、「お父さんお母さんありがとう」なんて、思ってもなかった。
ただ、そういうのが結婚式でしょ?的に思っていただけだ。

そう思うと、母に手紙を書いた記憶がない。
私が子供のころ、出張が多かった父には、何度も手紙を書いた記憶がある。父と私は文通をしていた。
でも、いつも一つ屋根の下で生活していた母には、手紙を書く機会がなかった。

言葉でいえない感謝を、せめて手紙にして渡せばよかった。
母は私に時々書置きをしていたので、私は今の母がどんな文字を書くか知っている。
でも、母は、今の私がどんな文字を書くか、知らないままだったと思う。
私は料理が好きだけど、母に振舞ったことはない。
私は出かけることが好きだけど、母を誘ったことはない。
私はおしゃべりが好きだけど、母に聞いてもらったことはない。
母の日のお花も、誕生日のお祝いも、したことがない。
心から「ありがとう」なんて、一度も言ったことがない。
母が乳がんで乳房を切除したときも、私はお見舞いに行かなかった。
抗ガン治療をしていた時も、送り迎えをしたことは一度もない。
だから、しんどそうな母の顔も知らなければ、背中をさすったこともない。
ウィッグをかぶっている母は知っていても、髪が抜けてしまった母の顔を私は知らない。
家事を手伝いに行ったことも、様子をうかがう電話をしたこともなければ、そもそもこれまでにどんな病気をしてきて、どんな治療をしてきたかさえ知らない。

車で20分の距離にいながら、私はこのくらい、母のことが嫌いだった。

そんな母は、それでも私を愛してくれた。
これまで私が鬱陶しいと感じてきたすべてが、母の愛情だった。
母が差し出す愛を、私は一切受け取らなかった。
そして、私は母に、一切の愛を差し出さなかった。

そんな母に、「愛してるよ」と言いたくなったのは、ほんの最近だ。
そんな母が、死んでしまう。

そして、夜になった気が付いたこと。
せめて今日の昼間の電話で、「母さん、愛してるよ」と言えばよかった。
「生んでくれてありがとう」というのと一緒に、ちゃんと「母さん」と言い、ちゃんと「愛してるよ」って言えばよかった。


凄く凄く後悔している。

もう、おそらくほぼ意識がない母に、開いてもらえないだろうなと想いつつ、メールを送った。
私が一番好きな、若い母と生まれて9カ月の私が映った写真と、今日の夕方娘と歩きながら撮った、開花したばかりの桜の写真。
「母さん、愛しているよ」と送ったけれど、きっと届かないね。
せめて、お昼間に送っておけばよかった。

母さん、私のお母さんでいてくれてありがとう。
私を産んでくれて、ありがとう。
私のことを、ずっとずっとずー---っと、愛し続けれくれてありがとう。


私も、母さんを愛しています。

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