書き残そうと思ったきっかけ。

彼のことは、前から書き残したいと思ってきた。
彼には、言葉のDVがあった。一時は手も出ていて、それをしなくなった彼はさらに言葉によるDVが強くなった。

だけど、それは彼にとって、彼なりの愛情表現であることも理解していた。
なぜなら、彼は幼いころから虐待家庭で育ち、具体的には彼の父親から母親への暴力だったと聴いている。
自分自身は受けなかったらしいが、それが愛情だという教育を全身で浴びてきた彼にとって、言葉のDVはまさに愛情表現だったと思う。

ただ、それがDVだとわかっていた私は、子供たち二人それぞれが自立したタイミングで、「私がこの彼のDVにこの距離で一生受け止める必要があるのか」と考えたときに、それは違うのではないかと気がついた。
それからしばらくして、私は彼との生活をやめた。
無理やりに、一方的に、やめた感じだ。

そんな年の夏、珍しく彼から連絡があった。
体調が悪いという。
今まで、そんな風な連絡をしてきたことはなかった。

結果彼は、人工透析患者になった。
44歳。

ただ、ある程度の距離を持って彼と向き合うようになった私は今、彼に感謝している。
彼と私は、育った環境が真逆だった。
それなりにお金があり、一人っ子だった私は、両親からとても愛され、やりたいことはやらせてもらえたし、欲しいものは何でも買ってもらえた。
それとは真逆の世界で生きている人がいること。
(彼には、家庭での虐待以外にもいろいろとあって、私からすれば「よく死なずにここまで生きてきたな」と思う)
そしてその中で、大きな学びや気づきを私にくれたこと。
そして、今のしごとに辿り着き、今こうしてやれているのも、実は、彼の一言があってのこと。

2021年の春、私は彼を花見に誘った。
一緒に桜を見たいと思ったからだ。
お弁当を買って、桜の木の下で食べた。
その時に、2日に1回透析に通う彼が言った。
「あと何年、桜が見れるだろうか」。

その時、彼の生きた証を、書き残そうと思った。
彼が生きたこと、本当はいつも心が孤独だったこと、それでも誰かの役に立ち、一生懸命私の息子と娘の父親になろうとしてくれたこと。
彼なりに、私を心から愛してくれたこと。

感謝を込めて、そして今は亡き彼の両親に彼なりの行き様を伝えたく、書き残したいと思います。








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