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フランス行き振り返り その2

前回、フランスに対する自発興味スイッチが入った、と書いたが、それからすぐ渡仏したわけではない。どころか、フランスのことを考えてさえいなかった。
自分の舞台や、父親の死、自分の離婚、と様々な出来事をこなしていくだけでどんどんどんどん日々が過ぎていって、気がつけば2011年になっていた。震災の後は、私の周りの多くのアーティストたち同様、私も、舞台芸術で何ができるのか、こんな時に舞台なんてやっているべきなのか、そもそも本当に必要なのかと悶々とする日々。しかし、東北にボランティアに行った際に被災された方々に、逆に労っていただいたり、こういう時だから、演劇を見ることが力になる、という方々の声を聞くうちに、できることを探るようになった。そしてしばらくして、私にとっては生涯忘れることのできない大切な作品のクリエーションが始まる。そんなある日、突然、私はフランスに行くことを決めたのだった。とつぜん。なんの前置きもなく。ある日突然。何かが空から降ってきた、としか言いようがない。その後何度も何度も、当時の手帳を開いてみては、一体何があったのか理解しようとしたがダメだった。わからない。はっきりしているのは、ただ、渡仏の意志の全くなかったある時点から一週間後に、突然留学に向けての行動を起こし始めた、ということだけ。
こうだ。7月のある週にある芝居を観に行った。二演目あったのだが、片方は自分の稽古との日程調整が合わず「観られなくて本当に残念」と終演後のロビーで関係者に告げた。関係者「あ、でも来年2月に再演やりますよ!」私「え〜、絶対行きます!」だから、日本を離れる気など全くなかったことははっきりしているのだ。
しかし、その一週間後にいきなり、当初の東京日仏学院(この翌年から、東京日仏学院、横浜日仏学院、関西日仏学館、九州日仏学館が統合する形でアンスティチュ・フランセ日本となる。)に通いだす。凄まじい勢いで、留学するためにはどうすればいいのかその方法を探り始める。予備知識皆無。日仏学院の留学ビューローの方に助けていただいて、講師の先生に助けていただいて、いろんな方のアドヴァイス、お力添えを受けながら、バババババーッと走りまくって、2ヶ月で留学先と滞在先を決めたのだった。皆さんが助けてくれなければ無理だった。本当に感謝。留学の手続きに関しては、当時と今とでは、随分と変わってしまっているのだろうと思うが、Campus Franceというものに登録してからでないとビザの申請が出来ない、というのは今でも同じようだ。この登録は、ちょっと辛かった。アカウントを作るまではなんとかできたのだが、サイトのシステムに何か問題があって、打ち込んだはずの動機書が入力ボタンを押すと消えてしまうのである。何度打ち込んでも、入力ボタンで白紙に戻る。あり得ない。入れる、消える、入れる、消える。最終的には、これだけフランス語の文章を繰り返して打ち込めば上達も早くなる、と自分を励ますことでなんとか放棄せずに済んだのだが、非常に辛く、孤独な作業だった。
なんだかだらだらと、要領を得ないふり返りになっている気がするが、次回はもうちょっと先に進んでみたいと思う。


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