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#20.「優先順位を決める」という行為はエゴなのか?

皆さんは、あの人と会うか別の人と会うかの優先順位、どうやって決めていますか?
「優先順位を決める」という行為自体、それはエゴと捉えられるのでしょうか?全ての判断はエゴだと判断するのに私は違和感があるため、ここで少し考えてみます。

フロイトは、人間のこころを「イド(無意識の快楽原則に従った行い)」「スーパーエゴ(環境や教育に基づく道徳心や抑制)」「エゴ(自我意識。イドとスーパーエゴの調整役)」の三領域に分けたそうですが、エゴの領域には、未来の自分ためにという視野はきっとあるものの、他人の感情や感覚にとってや他人の未来にとってという観点が欠けています。
また、家族にとって、組織にとって、地域にとって、日本にとって、社会にとって、地球にとってと空間を拡げられていないという特徴があります。
かようにエゴとは「自分にとって」というエリアを抜けない、社会性が低い視座にあるものとしてここでは表現しています。

私の現時点での結論は、「私以外の人、妻、家族、会社、社会にエリアを広げ、私個人の満足だけではない良き流れのために、優先順位を決めるなら、それはエゴではない」です。
あまりにも当たり前の事を言っているようですが、意外と忘れてませんでしょうか?
自分勝手に物事を進めているのか、そうでは無いと自信を持って言えるのかを判別する良い判断軸だと思います。


「最適な時間の使い方」という課題は「私がどんな人に貢献するために、今何をするか」という問いから逃げる事は出来ない。

仕事か家庭か
この友人か、あの友人か
この会議か、あの会議か
この出会いか、あの出会いか

きっと皆さんも葛藤した事があるでしょう。
今までは無意識に選択してきたけれど、都度、どんな人に貢献していきたい私なのか、そしてどんな貢献をどのくらい出来そうか、という観点を踏まえて考えれば、より良い選択となりそうです。

道徳心があり、自己啓発に勤しんで来た方には、当たり前の利他主義。若い頃にはなかなか気付けませんが、年を経ると「損して得(徳)とれ」という精神は、人間社会に於いて真理だなと感じるようになってくるものです。

妻とはいつも私の時間の使い方で議論になります。私は仕事を複数掛け持ちしており、まだ売上に繋がらない仕事も「仕事」と表現し、まだ売上に繋がらない飲み会も「仕事」と表現し、家を留守にするので、誤解が生じています。
私なりにエゴでは無く、友人との対話は新しいものを生み、社会に還元でき、ひいては将来の家計の安定にも貢献できる考えての事なのですが、なかなか理解が得られませんでした。

一方、妻は妻で、家族との時間や私の身体をいたわってのことなので、どちらが正しいとも言えません。

そこで、未来の家計を安定させるために必要な活動である事を伝えた上で、妻に以下のように宣言をしてみたところ、ほぼ合意を得る事が出来ました。

年16日は受講等のインプットを優先する
年52日は仕事Bを優先する
年72日は家庭を優先する
年224日は仕事Aを優先する

私は社会の幸福に貢献したいと思っています。
でも全ての人に貢献が出来るわけではない。
私が貢献出来るのは、私が向き合える範疇の人だけ。自分の許容を超えた人に向き合うのは、今は諦めて良いとも考えています。

世の高僧などのように「イシキの赴くままの行動」が自動的に最適解になる過ごし方ができるようになるまでは、「誰かに貢献できる事なのか、時間をかける事でもっと多くの人への貢献になるか」と自分に問い、そして、パートナーや家族にも理解してもらいながら進める。

このようにしていくのが良いと、私は考えています。「リーダーシップとは何か」と言った研修に需要がある今、この貢献という在り方は避けて通れないはずです。こんなスパイスを研修コンテンツにふりかけてみるのは如何でしょうか。
更に難しい問題で、「組織や集団のエゴ」というものへの向き合い方がありますが、それについてはまた次の機会に。

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