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土曜の朝のコインランドリー

昔から、コインランドリーにいる時間が好きだった。

社会人1年目の頃から3年くらい、中野区の木造ワンルームアパートに住んでいて、洗濯物が大量に溜まっていたりすると、家で洗った洋服を乾燥させるためにコインランドリーに向かった。そこに行くのはだいたい土曜の朝で、土曜の朝にコインランドリーに行くのは好きだった。

土曜の朝という時間が、一週間の中でも特別だと思う。
金曜の夜が飲み会やデートに最適な時間だとしたら、土曜の朝は気ままに過ごすのに最適な時間だろう。土曜はまだ始まったばかりだし、まだ日曜もある。自分のしたいことをすれば良い。
ただ、当時の私は新人で、土曜の朝でも仕事のことで頭がいっぱいだった。
月曜を迎えるまでにやっておくべきことは無限にあり、少しでも作業を片付けたり勉強しなければという不安があった。将来という漠然としたものに向けて、少しでも自己投資をしなければ、という気持ちもあった。

でも、コインランドリーに行けば、「今はコインランドリーにいるから仕事も勉強も出来ないんだよね」と自分に言い聞かせることが出来た。だいたい30分くらい。
その時間は、近くのコンビニでたまたま見つけた新刊のONE PIECEを読んでもいいし、音楽を聴いてもいい。どうしても仕事のことを考えたければそうしても良い。完全に自分がしたいことだけをすることが出来た。洗剤の匂いと、洗濯機の音が一定のリズムで聞こえてくるのも心地よかった。
その頃の私は、この時間をゆたかだと感じていた。

現在、私は妻と二人で鉄筋のマンションに住んでいる。家賃を折半するので少し広い家に住めるようになった。
雨の日に溜まった洗濯物を乾かしにコインランドリーに行くことはあるし、洗剤の匂いと洗濯機の音は今でも気に入っている。でも、以前のように、仕事や勉強を免除するために行くことはなくなった。

というのも、私は結婚したのと30歳になったのをきっかけに、自分の将来のために具体的なお金の計画を立て始めた。60歳までの平均年収を今の年収で考えた場合、毎年いくらを投資と貯蓄とローンの返済に回すとすると、60歳時点の資産はこれくらいで・・・といった具合でシミュレーションをしてみるのだ。計画と整合させる形で、生きているうちに実現したい目標も設定した。
そうすると「自己投資しなければ」という漠然とした焦燥感に駆られることがなくなった。少なくともお金のベースラインが定まったので、それを維持するか超えれば良いことが分かったからだ。後は目標を実現するだけだ。
ただ、あえて抽象的で幅広な、目標というよりは何を成すために生きるのか、方針を定めたような感じなので、少なくとも、例えば毎日10km走り込んだりする必要はない。

と言う訳で必要以上に自分を追い込むことは無くなったのだが、コロナの影響で若干の暇ができた今、忙しい一週間が終わった後の土曜の朝のコインランドリーを懐かしく思う自分もいる。
人にとってのゆたかさは、置かれた状況の微妙なバランスの中でコロコロ姿を変えていくものなのかもしれない。

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