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Slackによるカルチャー崩壊に、今後の組織が直面するコミュニケーションの本質を問う。

 「Slack化」が止まらない。

このグロースカーブのアニメーションのインパクトよりも革新的に、そして破壊的にあらゆる組織内のコミュニケーションが「効率化」「透明化」の免罪符と共に「Slack化」による侵食によって劇的に進行している。

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ユーザー体験としても、もはやSlackが存在しなかった世界の働き方を思い出せないし、それが無くても同じように「効率的」に仕事をする自信もない。

では、後戻りする必要は全くないのだろうか。

悪魔的な効率の代わりに、失ったものはないのだろうか。

後戻りできないとしたら、組織はこの「メディア」とどのように共存していくべきだろうか。

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人類の物理的・空間的限界を圧倒的に突破する新たなプロダクトの出現を、我々は時に「発明」と呼んできた。電話、自動車、インターネット。そんな「発明」の光には必ず影がある。大切なのは、本来であれば人類を正しい方向に前進させるはずの「発明」における"ダークサイド"に対する適切な認識と、ポジティブな処方箋だ。評論家的に進歩の揚げ足を取るのではなく、その「道具」の正しい説明書と処方箋を服用し続けることによって、「発明」を人類の歴史上の「汚点」とせずに、新たな時代の「原点」とすべきことだ。

人類の進歩に対するあくなき努力へリスペクトをしつつ、Slackという「発明」と共存する道をあらためて考えてみたいと思うに至る。必然的に、その短い旅路は「人と人とのコミュニケーション」の本質への問いへと行き着くことになる。

組織内のあらゆるコミュニケーションが良くも悪くも「Slack化」していく中で、我々が本当に留意すべきことはいったい何だろうか。

今をときめくD2Cブランドに傷をつけた破壊的な影

「Slack化」による組織コミュニケーションにおける負の側面と、「企業文化」に対する影響に関してはここ半年ぐらいずっと掘り下げたいテーマだった。但しこの悪魔的ツールが実際「企業文化」に対してどの程度の影響力を持ち、ましてその負の側面に起因する本来は生々しい「事故」をどの「コミュニケーション」という視座でどのように咀嚼すべきか、悩ましいところでもあった。

そんな中、昨年末に西海岸のど真ん中、今をときめくD2Cブランド「AWAY」において象徴的な事件が起きる。

「D2C」というバズワードで、日本でも注目されることが多くなったアイウェアのD2Cブランド「Warby Parker」。そのWarby ParkerにてD2Cの要となるHead of Supply Chainを担当していたSteph Korey、同じくWarby ParkerでHead of Social Mediaとしてイマドキのブランディングとグロースの舵を握っていたJen Rubioが創業したラゲッジバックのD2Cブランド「AWAY」は、日本で注目されることはまだまだ少ない。AWAYはすでに14億ドルを超える評価額で、旅とソーシャルメディア好きなミレニアル世代が圧倒的に支持するラゲッジバックブランドだ。

そして、そのCo-founderのSteph Koreyが強圧的なSlackコミュニケーションを言質に昨年末、CEOの座を追われてしまう事件が起こった。

詳細は割愛するが、本件を要約すると次のような事象である。

・退職したAWAYの従業員がSteph Koreyのtoxic(毒的)な振る舞いと企業文化をテックメディアのVergeに告発
・告発された内容は主にSlackのスクリーンショットによる言質と、その振る舞いに起因するでっち上げられた(と証言する)企業文化に対する批判
・記事の影響を受けCEOのSteph Koreyは退任に追い込まれる

本件はややゴシップ的な様相を帯びているが、事の本質の一つとして横たわるのは「オンラインテキストコミュニケーション」がもたらす、負の側面とそれらの二次曲線的な連鎖・増幅作用の功罪だと思っている。

当然、今までもメールや掲示板などを中心としたオンラインコミュニケーションは存在してきたが、Slackを中心に「発明」が起きていることは、オフラインコミュニケーションに近い「即時性」と、同時にオンライン上に「アーカイブ」される利便性にあると見ている。

これが複数の人が集まるグループ、組織が協働する上でのコミュニケーション/アーカイブツールとして圧倒的な価値を発揮し始めたわけだが、人類は一度「便利な道具」を手にしたら、それから逃れることは難しい。それは人類の歴史を辿れば明らかで、最初は戦いの武器として、農耕をより効率よく、効果的に行うために発明された「道具」を起源とし、人類の「道具」は直線的に不可逆な進化をし続けて今に至る。

ただ、そんな便利で効率的な「道具」は負の側面も併せ持つ。例えば「ハサミ」ひとつとっても、それは効果的に物質を裁断することができるが、使い方を間違えれば「凶器」となるのだ。

先のAWAYの事例は、その最先端の「道具」が有する「即時性」と「アーカイブ性」が、「凶器」として働いてしまった象徴的な事例だと言える。

「文脈ロス」「脊髄反射」「アーカイブ」による負の連鎖

「テキスト」という媒介はとてもユニークな存在だと言える。

同じ文書ひとつとっても、見る人によって、そしてその時の気分によって受け手が感じるものや奥行きが全く異なる。

例えばそれは「文学」においては圧倒的ポジティブに作用する。
小説が人々の心を捉えてやまないのは、テキスト、文章には「適切な余白」があり、その「余白」を妄想することによって人類の「右脳」へと働きかけるからだ。

逆に、組織内でのコミュニケーションではどうだろうか。次の一文を真っ白な頭で眺めて欲しい。

明日から君は会社に来なくていいよ

仮に、馬の合わない上司と喧嘩した翌日に、こわばった相手の表情を想像しながらこれを受け取った場合。

彼に、尊敬する上司に休職の相談をした翌日に、微笑んだ相手の表情を想像しながらこれを受け取った場合。

どちらも同じ文書だが、得られる印象や奥行きは全く異なるのがテキストの恐ろしい部分だ。
そして、お気付きの通りたった一つの文章にも、可視化されていない「前後文脈」が大抵セットなのである。

仮にこの一文だけがパブリックなチャンネルでやりとりされた場合(あり得ないが)、当人以外の「オーディエンス」はそれぞれどのような印象を受けるだろうか。Salckを中心とした今のチャットツールでは、このような「文脈ロス」によるすれ違いの連鎖が起きることによって至る所で「見えない事故」が発生しているのである。

また、負の連鎖を助長しているのが@mentionによる感情の脊髄反射だ。mentionした本人が伝えたかった内容、コンテキスト、感情的想いが間違って伝わってしまい、負の感情に瞬間的に火をつけてしまった結果、人の脳はそれを「攻撃」と判断し、即座の「防御」的にカウンターパンチとなる活字の暴力を振りかざす。

現代に生きる我々は、そんな圧倒的便利で機械的なツールで、そんな極めで人間的な作用反作用が発生しているのだ。そんな小さい脊髄反射的な事故もまた、今日も見えないところでその発生件数を指数関数的に増加し続けている。

手紙、メール、チャット...と文章におけるコミュニケーションの進化は、「即時性」の進化と言える。この進化において人類が得られたものは計り知れない。当然得られた物の方が大きい。しかしその裏で怒っていることは「感情のすれ違い」と言えるのではないだろうか。

そして、その「事故」の表面的な部分のみが日々アーカイブされ続け、いざという時に「忘れていた凶器」として再登場することとなる。

AWAYの件の事の本質は、当人同士にしかわからない。ただし、仮にこれがデフォルメされたエンターテイメント的ゴシップだとしても、その事故事例は最大公約数的にいまどきのSlack導入企業の日常として当てはめることができるだろう。

なぜSlackが企業文化に影響を与えるほどの存在なのか?

メディアは世論を操作し、時に戦争の引き金ともなる。
これも人類が「発明」した産物であり、「情報の伝播」という側面でみるとそれは「凶器」にもなる道具だ。

一定数を超えた組織に適切な情報デザインが必要となった場合、事実上のモダンな組織において、よほど注意深くコミュニケーションデザインしている会社を除き「Slack」こそが良くも悪くもその組織内に最も影響を与えるメディアとなっている。

問題なのは、そのメディアは極めて属組織的で、有機的で、分散的であるが故に「意図した一貫性のあるメッセージを発信しづづける媒介」としての特性を持ち合わせていないことだろう。

さらに本来見る必要のなかったコミュニケーションまで可視化され、増え続ける情報の「影」に脳内の潜在意識を司るCPUは一定の稼働を強いられている。この影響を科学的に検証したわけではないが、Slackがもたらした「道具と人」「メディアと組織」の関係をフィジカル/メンタル両面の視座から俯瞰すると、こんな慢性疾患が散見されるのではないだろうか。

そんな極めて不安定なメディアに、一定規模を超えた組織が傾倒してまうことの危うさは、これ以上言うまでもない。

しかし、裏を返すとSlackを中心とした優れた「コミュニケーションデザイン」によって、「企業文化デザイン」において大きなインパクトを与えることができるということだ。

「感情」に着目したコミュニケーションデザイン

オンラインに限ったコミュニケーションデザインといえば「構造化」「効率化」といった左脳的側面が強い。

それ自体は否定されるものではないが、本来「人」と「人」が「言葉」を通じて行ってきたものは、単なる「情報の伝達」だけではない。

例えば「タスクを依頼する」のはコミュニケーションのごく一部であり、「感謝を伝える」「愛情を示す」といった極めて感情的なものも「コミュニケーション」の双璧を成すのだ。

企業文化デザインとはつまるところ行動のデザインだ

人間は感情の動物であり、故に感情によって行動が規定される。理性で押さえつけるものは本質的な文化にはなりえない。であれば、オンラインのコミュニケーションデザインにおいても、もっと「感情的な変数」にも重きを置いてデザインされるべきだろう。
エモティコンは本当に些細な例であるが、それは少なからず感情的変数に対する小さな小さなソリューションであると言える。

事の本質的には、ハサミが時に凶器となるように、人類は「新たな道具」に対する適切なリテラシーを持ち合わせなければならない。ただ、その道具の危うさを認識しなければ、出発点にも立てないのだ。

「Slack化」する組織コミュニケーションに対する共存共栄の旅は、まだ端緒に就いたばかりなのである。

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