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小異を捨てて、大同につく。

ー なぜビジョンが大切なのか。

それは日々の揉め事、意見のすれ違いによる衝突などを、一歩離れて俯瞰してみると気づくことなのかもしれない。

日々の情熱、仕事に邁進すればするほど、人の視野は自ずと狭まっていく。それは高速道路をハイスピードで走るドライバーの目線の如く、視界は1点に集中し、それ以外は解像度の低い風景となってただぼんやりとそして高速に流れ去っていく。

時に、アクセルを緩めてみる。今スタックしているその意見の食い違い、すれ違いにどれだけ情熱をかける意義があるのか。本来おくべき目線は、そんなに低い瑣末な差分の世界なのだろうか。

そんな差異で物事がうまく前進しない時こそ、一歩立ち止まって夜空を見上げてみる。我々の向かうべき北極星はどこにあるのか。そしてそれを共に歩む仲間と、しっかり共有しているだろうか。

政治家であれば本質的に大切なのは目先の政策ではなく「国家観」だ。政策の差異や、利己を超えた目指すべき世界を、国民に示し、信じる仲間と共有し合えるのか。

起業家であればそれは「ビジョン」という言葉になる。どんな世界を実現したいのか。その世界に、己の人生をどれだけかける価値があるのか。

つまり、ビジョンの有り無しというのは暗闇でも、嵐の中でも、立ち戻るべき、手繰り寄せるべく「軸」とその先の「ブレない一点の光」があるかどうかだ。

企業運営において「North Star(北極星)Metrics」というテクニカルなワードを耳にする機会も増えたが、本を正せばそういうことだと理解している。

その思い描くビジョンが尊ければ尊いほど、
それは時にブラックホールのような求心力となり、
自らを加速させる100万馬力の推進力となり、
迷いの無い唯一の到達点へ向けての、長い旅路における情熱となる。

壮大で崇高なビジョンの元では、
あらゆることは小事にすぎない。

誰かと本気で走っていれば擦り傷だらけになる。
長距離走となれば互いに疲労骨折もする。
それでも一緒に走り続けるために必要なのが、本気で実現したいと思える世界観の共有だ。

本気(マジ)でやればやるほど、目先の意見は食い違う。

しかし、いざとなれば、
小異は捨てて大同(ビジョン)につく

そんな姿勢と覚悟を、その長い旅路のザックに込めて走り続ける。

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