人間、この問われるもの(「現代短歌」2016年3月号歌壇時評+あとがき)

 勿論ここで安易に結論が出されても困るのだが、それでもお互いの話のあまりのすれ違いぶりに、暫く呆然としてしまった。「短歌」[2016年]1月号の新春座談会「短歌における『人間』とは何か」の話である。

 座談会中、ずっと困っていたのは穂村弘だろう。小池光が永井陽子の歌に対して「もし永井陽子さんがのうのうと生きて今六十幾つになっていたら、この歌もおのずから別の読み方というか評価になってこざるをえないところがあるんじゃないかな」と言えば「その見方に僕は絶望してしまう」と発言し、永田和宏が「塚本さんの『私』の出し方でちょっと違ってきた。それもやっぱり淘汰され、同化されちゃった」と言えば「まさに永田さんたちの世代が徐々にスタンスを元の位置に戻したので、私などは裏切られた気持がいっぱいで(笑)。なにを近代の亡霊のようなこと、人間とはこういうものだからみたいなことを言うのか(笑)」と皮肉の「(笑)」を連発させ、遂には「この座談会、馬場さん以外全員二十代にして、徹底的に説得座談会というほうが良かった(笑)」と漏らした。一方、永井祐は「私は『人間』とか『人生』という考え方そのものを破棄できると思っていないんです」「むしろそれを更新するとか新しくすることに興味があって、新しい人生とか人間を見たいという気持ちがある」と、一見前向きな発言をしているが、彼の念頭には、「短歌の世界に流通している『人間』は『昭和の人間』であるように思う」(「昭和のこと」「短歌」2015年8月号)という自身の発言がある。この感覚そのものは、「短歌に描きやすい短歌向きの『私』という像があって、そこからはみ出るものは無意識の内に、いい短歌にならないから捨てちゃっていると思う」と語る穂村と相通ずるものである。悲観的か楽観的かの差はあれ、両者はここで、短歌における「人間」とは、結局は読者や歌壇内における共通理解のためのお約束に過ぎなかったのではないかという疑問を突きつけている。

 私たちは短歌を読む/詠む際に、無意識の内に既存のお約束を利用していないだろうか。一首ないし連作の中で主体に一貫性を持たせる方法そのものは今後も機能し続けるだろうが、一方で、一首の背後に一人の一貫した人間を必要とするそうしたお約束から逸脱する作品も、既に無数に蓄積されつつある。だからこそ、ここ数十年に亘り歌壇外に向けての短歌の入口の筆頭であり続けている穂村の絶望は深い。「これは名歌なんだけど、がんばって説明しても分かってもらえないだろうみたいなことはある」という彼の発言は、外への絶望ではなくて、歌壇内におけるお約束の閉鎖性への絶望である。永井も先の時評で「現代にアナログな、貨幣に換算不可能な『人間』(まあ、陳腐なイメージだけれど)が登場すると、いわゆる秀歌性と反対の方向に猛ダッシュしていく」と述べていた。この「いわゆる秀歌性」こそが、永井にとっては「昭和」という過去のお約束なのである。

 この「人間」の話題(問題とは言うまい)に関して一番発言が過激だったのは「短歌研究」昨年[2015年]12月号「評論展望」の山田航だった。山田は永井の時評を踏まえつつ、「『昭和のライフスタイル』のみを『人生』と捉えようという思想には、何らかの政治的意図がある。端的に言えば、『焼け跡から頑張って戦後復興を果たした自分たちを尊敬しろ』という傲岸さへと簡単に接続する」と看破し、閉じた歌壇の中に「戦後日本文学の根底にこびりつくテーゼ」が未だに蔓延っていることを強く非難している。

 では現代は「人間」ではなくて何なのか、対案を出せ、という嫌なムードが起きる前に、山田自身がひとつの回答を示した。編著したアンソロジー『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』(左右社)である。山田は40名の歌人の作品に対してきめ細やかな解説と批評を寄せているが、その中には、「世界」や「世界観」といった言葉がざっと50回以上登場する。これに「現実」「社会」「場所」といった同じ意味合いの言葉を加算すると、80を軽く超える。その一方で、「人間」「人物」「人間性」などは15回しか登場しない。

 著書の「まえがき」において山田は「ぼくは本が嫌いなのではなくて、『物語』があるものが嫌いなだけなんだと気付いた」と記しているが、この「物語」を忌避する感覚こそが、「人間」や「昭和」「近代」といった、共通理解のためのお約束に対する、強烈なアンチテーゼの根源ではないだろうか。石川美南の短歌を「物語らない物語」と形容しているように、山田は短歌を極力「世界」ないし「世界観」という見地から読み解こうとする。主体が自発的に選択する「人間性」や「物語」ではなく、既に客体として存在してしまっている「世界」とどう向き合っているか、という点に個別の作家性を見出そうとする。「世界観」という語も、作家が背負い被ったものという受身の視点から捉えられている。だが、彼は次のようにも記す。「どんなに世界を構造化しようと、強靭な論理の力を持っていようと、どうしても手に触れることができない危険な裂け目が『人間』にはある」(吉田隼人の章)。他にも「自分が世界の脇役でしかないことへの自覚」(内山晶太の章)「誰もが抱えている実存の不安」(井上法子の章)等の表現からも分かるように、山田は永井同様、「人間」を全否定しようとはしていない。「人間」と「世界」の関係性が変質しつつある、という変化の知覚にこそ彼の主張の本質がある。だから、従来のお約束が邪魔なのだ。

 当然だが、「昭和」や「世界」といった言葉自体はさして重要ではない。更に言うと、「人間」という言葉そのものも、大して重要ではない。「短歌」の座談会でも、「人間」という語の意味内容は発言者ごとに微妙に異なっていた。概念として大きすぎる語を乱発して、説明した気になって安心していては、結局何ひとつ共有されないだろう。いま私たちが問いを立てようとしている当のそれを、気安く名づけないことの方が、大切かもしれない。問い続けたい。

(初出:「現代短歌」2016年3月号、漢数字を一部数字に、傍点を付した箇所は太字に改め、年号表記に関する注を[]で示した)

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 時評は生ものだからなあ、いつ出るか分からない評論集に収めるまでに消費期限来ちゃうよ、と思ったので、去年「現代短歌」誌上で半年間担当した「歌壇時評」を、あとがき付きで公開します。

 さて、1回目に選んだのはいわゆる「人間」の話題。一年経った今、この話題に関しては、時評でも触れた角川「短歌」2016年1月号の座談会によって一区切りをつけられてしまったような感じがしているのですが、どうなんでしょうね。こういう「人間」とか「〈私〉」とかの話は、どうしても好き勝手に喋ってそれでおしまいになってしまいがちだし、加えて、本文にも書いたように、同じ語なのに発言者によって微妙にニュアンスの異なる場合が多すぎるし、そもそもの概念が大きすぎる。ここらへんを再定義というか、混乱した部分にバイパスを通すような作業が必要だと、個人的には思っているのですが、なかなかそんな余裕は無いですね。実作者としては、概念は定義するよりも壊すことの方が、簡単だし。

 僕自身は、自分がいわゆるロスジェネ世代とゆとり世代の中間くらいにいる実感でいるのですが、確かにこの辺の世代より下になると、「世界」というものを、自分の力で切り開いていったり構築していったりするものではなく、そこに既に存在していて、与えられたり共有したりするものである、と考える傾向があるように思います(個人の見解です)。そういえば、ちょうど数年前、科目履修生として受講していた宗教哲学の講義も、「贈与」が大きなテーマとなっていました。実際、ハイデガーやサルトルが言う「投企」よりも、マルセル・モースやバタイユやジャン=リュック・マリオンが言う「贈与」の方が、なんというかしっくりくるように感じたのを覚えています。現代の短歌においても、「世界」と〈私〉の関係、あるいは〈私〉とテクストの関係を贈与論として読み換えていく試みは、これから絶対に必要になってくると思います。

 また、70年代生まれ以降の世代は、セカイ系の「物語」を受容し、再生産してきた世代でもあります。短歌史的に語るとすれば、短歌における「〈大きな物語〉の終焉」とは何であったのか、そもそも終焉したのか? という問題について、考える価値はありそうです。

 ちなみに、「人間、この問われるもの」という仰々しいタイトルは、ガブリエル・マルセルの著作から取ったものです(Gabriel Marcel : L’Homme problématique, 1955)。まあ、今時マルセルなんて、フランス宗教哲学に迷い込まない限り、誰も読んでいないか。案の定誰からも突っ込まれませんでした。

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