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ごめんなさいが言えなかった 間違いたくなかった あの頃の私へ

この記事は、
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1年程前の記事を
リライトしたものです。
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「間違うこと、失敗することへの恐れ」
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年末に本格的に始まる
「風の時代」において、
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超えていくことを
迫られるであろう大きなテーマのひとつだと
私は感じています。
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「真実」「理想」「生き方」が
人の数だけあることが当たり前の、

「多様性の時代」
 
これから
本格的に迎えていきます。
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その時代を生きていく上で、
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「自分を出して
 はみ出すのがこわい」

「間違うのがこわい」

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そうやって縮こまってしまうのは、
とてももったいない。
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より自由で、
息をしやすい人生を

主体的に 貪欲に
楽しんで自分の人生を生きる人

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もっとたくさん作りたい!
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というのが、
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私の願いです。
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間違うこと、失敗することが
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「死」を意味するくらいに
怖くて仕方なかった、
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あの頃の私と、
同じような想いを持つ方に
 
この記事が
何かのお役に立てばうれしいです。
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まだ20代半ば頃、大学院生時代に
飲食店でバイトをしていました。
 
  
その頃は、まだ学生しながらも
 
バイトでやっとこ社会に出たてで、
 
万年モラトリアム、
そして自己評価がMaxに低い頃。
 
  
 
店長と一緒に仕込みと
開店準備していた時、
 
私が何かミスをしてしまって
気まずいまま黙って固まっていたら
  

「熊木って本当に謝んねーのな」
 

と 苛立ちと怒りをこもった声を
店長からぶつけられました。
 
 
 
そう言われるということは、
 
それ以前から、
気になっていたけど黙っていてくれて、
 
 
「何かやらかしたら 謝る」
 
 
という私からの行動を
待っていてくれたんだと思うのです。
 
 
 
「まだこうやって言われる内はいいよ。

 本当に社会に出たら、
 こうやって言われることもなく
 黙ってみんな あなたと距離を置くよ。

 そんなんじゃダメだよ」
 
  
 
自分の身内以外からそうやって
真剣に、ストレートに叱られるのは初めてで。
 
 
 
本当にショックで
固まってしまったけれども、
 
その硬直状態の中でも、
一瞬でいろんなことに
気付かされたのです。
 
 
 
自分の非を正面から受け止められない、
弱い自分
 
 
その弱さの原因である、
見当違いのプライドの高さ。
 
 
その「見当違いのブライド」の裏にある、
自分に対する圧倒的な自信の無さ。
 
 
 
 
「こんなに自信が無くて、ダメな私が
 
 これ以上何かの非を認めたら、
  
 私なんか消し飛んでしまう。
  
 壊れてしまう。」
 
 
 
 
「間違い、即 存亡の危機!」

 
   
というくらいに間違いを恐れている、
 
そんなちっぽけな自分を
一瞬で突き付けられたのです。
 
 
 
 
外の世界に出てこれでしたから、
 
きっと家族に対しては
 
いつも謝れず、折れられず、 
非を認められずに、
 
自分の落ち度を詫びるよりも
 
どうにか相手の非をつついて
逃げようとするような、
 
そんな人間だったのかもしれない、と
今になって思います。
 


完全に甘ったれていました。
 
 
 
正に冷水を浴びせられるような、
そんな気持ち。
 
 
 
 
でも。
 
何となく無意識にですが、
 

その店長の言葉には
まったく傷付ける悪意なんかなく、
 
その言葉の根底に、
 
何だかわからない、
ほんのりした「あたたかさ」が
あるのを感じたのです。



  
「この熱に 応えなくてはいけない」



そう感じて、

うつむきながらもどうにか
 
「申し訳ありませんでした」と
 
謝りました。
  
 
 
 
店長は「うん」とだけ
うなづいて答え、
 
そのまま仕事に戻り、
 
余った食材をアレンジした
美味しい まかないガーリックライスを
 
いつもと同じように
作ってくれて、
 
いつも通り
二人で並んで食べたのです。
 
 


 
ちょっとだけ気まずかったけど、
 
でも、あたたかくて
いつもと同じように美味しかった。
 
 
 
その後特に何も言われませんでしたが、
 
叱ることはガツンと叱る、
 
けど ことが済めば
引きずらずに接してくれる、
 
そんなところがすごくありがたくて。
 


間違ったとしても、
 
怒りではなく愛をもって
叱ってくれる人がいる。
 


謝っても、
「私はダメ」なんてことにはならず
 
壊れたりもしない。
 


謝ったら、
ちゃんと人は受け止めてくれる。
 
 

そんな安堵感。
 
 


そして、
自分の非を受け入れてみたら、
 
 
弱くなるどころか、

ちょっと自分が強くなれたような、
 
マシな人間になれたような、
 
そんな気さえしたのです。
 
 


「間違っても 大丈夫」
 


 
それを初めて
強く感じさせてくれた体験として
 
今も胸に残っている、遠い昔の話。
 


 
今の私も、
いつも素直に 自分の間違いを
認められる訳ではないけれど、

 
もし、間違うこと 謝ることに
死ぬほどの恐怖を感じている
昔の私のような人がいるとしたら
 

「間違っても 大丈夫」って
知っていて欲しいのです。

 


間違えられるのも 謝れるのも
誰かと一緒にいるから。


一人きりになったら、
謝ることも出来ない。


 
謝るには
葛藤、苦しみもあるけれど、
 
戦って超えたその向こうに

前よりちょっと強くて 、
心穏やかな自分が待っている。
 


そうやって育てるのが
 
「本物の自尊心」なのかもと
今は思うのです。
 
 

「間違っても、謝っても、大丈夫よ」って
あの頃の私に伝えてあげたいな。



そして今の私にも、
皆さんにも。



間違っても、失敗しても、大丈夫。



怖がらずに行きましょう。




転んでも、

またちょっと
今より強くなるだけです(笑



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『いつかではなく
今 ココから願いを生きる』
 
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スピリチュアルライフコーチ*
熊木 智子
 
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