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お料理嫌いだった理科好きJKが栄養学の道を選ぶまで

今はもう料理嫌いではない、栄養学生のすごくかなです。
大学生活を振り返るnote、無事に2投稿目を書き上げることができて安心しています。
新しいことを始めるのは簡単でも、続けるって本当に難しい。

週1投稿くらいのペースを目指して、丁寧に書いていきたいです。
(既に週1投稿ができていない)

今回は、「なぜ大学で栄養学を勉強しようと思ったか」というきっかけの部分について振り返りました。
大学生活を振り返るnoteなのに高校時代の振り返りになってしまっていますが、そのあたりはご容赦ください。

少し長めの文章になります。
お時間あるときに読んでいただければ嬉しいです☻
(ヘッダーイラスト:lisa500mlさん)

▼忘れられないあの授業

高校1年生の前期、家庭科の時間。
教壇に立つT先生は、入学したばかりの生徒にとっては難しすぎる内容をつらつらと話し、黒板に何やら図を描き進めていく。

あまりにも理解不能だったので、しばらく忘れられなかったこの授業。
黒板に描かれた図を眺める。いびつな形のクエン酸回路だった。

クエン酸回路というのは、ざっくり説明すると、動物が食べ物からエネルギー物質を得るときに使われる代謝経路のひとつである。
高校で習う生物・有機化学の知識をフル活用しても若干足りないくらいガッツリ専門的な内容で、高校1年生で勉強するものではないように思う。
理解不能だったのも無理はない。

▼トラウマは消えない

幼少期から最近まで、「料理」という行為に強い苦手意識があった。
食事をこよなく愛しているにも関わらず、料理が苦手なのは致命的だ。

わりと手先が器用な方で、工作も手芸も得意だし、絵も描ける。
というか、ものづくり全般を好んでやっている。
料理だってものづくりのはずなのに、苦手でどうしようもなかった。

原因は、だいたい解明されている。
子どもの頃、料理に関して嫌な思いをしたことがあり、それ以降キッチンに立つこと自体が苦痛になってしまったのだ。
少々暗い話になるので経緯について詳しい説明はしないけれど、料理が楽しいとは到底思えない状態が、大学に入学するまで続いた。
いわゆるトラウマというやつだろうと、今になって思う。

高校受験をするとき、志望していたのが地元では進学校だったこともあり、どういう分野の大学に進みたいか深く考えたことがある。
食に興味があるから栄養学を勉強するのがいいかもしれない、という思いは、中学3年生の時点で既に自分の中にあった。

ただ、「料理」の存在が頭の片隅をチラつくのである。

食べることが好きなのに料理したくない。
「料理したくない=料理やらない」なので、当然できるようにもならない。
約10年間、それがずっとコンプレックスだった。

▼サイエンスのとりこ

私が通っていた高校(無事、志望していた学校に合格した)では、2年生に上がるとき、自分が文系クラスに進むか理系クラスに進むかを選択することになっていた。
栄養系の大学に進む未来を一応考慮していた私は、文系脳で数学の成績が追試ギリギリラインなのに、理系クラスを選んでしまった。

相当いかつい選択なので、よい子は真似しないでほしい。

理系クラスに在籍して、2年間苦しみながら勉強することが決まった。
何しろ数学ができないので、授業のスピードについていくのがやっとだったように記憶している(本当に本当につらかった)。
だが、理系クラスに来たことで、自分の脳みそに想定外の変化も起こった。
サイエンスのとりこになってしまったのである。

サイエンス、いわゆる理科。
この世界に起こる色々な自然現象の機序を、人間が使う事のできる数式や言語で置き換えて理解する学問だと捉えている。
何でも原因が知りたくなってしまう私にピッタリの教科だと思った。

1週間の授業のうち3分の1以上を化学と生物の勉強に費やす、コテコテのサイエンス・ライフを送った。
夢中でモル計算をして、いつもプラスミドDNAのことを考えていた。
数学の点数は終わっていたけれど、生物の成績は学年トップ層だった。

▼点と点をつないだのは

T先生が、あの理解不能な授業をした目的。
それが「生徒にクエン酸回路を覚えさせること」ではないと気づいたのは、お得意の生物の授業で、植物の光合成について習っていたときだ。

ちょうど眠くなる時間の授業でフワっとしていた頭が、一気に晴れた。
T先生の意図をようやく理解した私は確信する。
大学では家政学を、栄養学をやらなくちゃ、と。

*****

家庭科(家政学)というのは、しばしば「良妻賢母を育てるための教え」みたいに捉えられる傾向にある、と感じている。
かつて、女子しか学校で家庭科を習わない時代があったからかもしれない。
少しでも家政学に足を突っ込むとすぐにわかるが、家庭科は良妻賢母のための教育なんかじゃない。
世間のイメージとは違い、れっきとした科学なのである。

家庭科は、花嫁修業ではなくサイエンス。
女子校の家庭科教諭であるT先生は、専門的すぎる代謝の話をあえてすることで、これを私たち生徒に伝えたかったのだった。

食べることが好き。そして、サイエンスが好き。
2つの「好き」を結んで伸ばした線の遠く先に、自分が進むべき道が拓けているような気がした。
料理が苦手だとしても、とりあえずやってみればいいじゃない。
点と点をつないだのは、いびつなクエン酸回路だった。

▼栄養学の扉を叩く

高校3年生になった私は、栄養が学べる大学に進むため、理系クラスでヒンヒン言いながらもなんとか勉強を続けていた。
ちょうどその頃、家族が長期間にわたって入院することになった。

入院先の病院は自宅から少し遠かったこともあり、高校生だった私はお見舞いに行けなかったので、家族の入院生活の情報はもっぱら母親から得た。

今日はね、管理栄養士さんの食事指導があって。
食べ物の模型がいっぱい出てきてさ。
本当に食べ物に詳しくてね。すごいの。

へえ、管理栄養士って、食べ物に詳しくてすごいのか。
母親から聞く食事指導の話を通して、栄養の専門家としての働き方を、具体的に想像することができた。
栄養学を勉強して、管理栄養士というやつになりたいと思うようになった。

*****

大学は管理栄養士養成校ばかり受けた。
4つの大学を受験して、2つ落ちたけど2つ受かった。
合格した大学のうち、自宅に近い方を選んで進学することになった。

高校卒業間際、北校舎の寒い廊下でT先生を見つけたので話しかけた。
ねえ先生、家庭科って科学だったんですね。
もしかしたら私たちがそれに気付くかもしれないから、わざわざ難しい代謝の話とかしたんですよね。

T先生は、ニヤっと笑って言ったのだった。
「よく気づいたね。」