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菌やウイルスは病気のもと?

私たち一般人が細菌、あるいはウイルスに持つイメージはどんなものだろう?
汚い。怖い。遠ざけるべきもの。

食中毒や風邪にはじまり、命にかかわる深刻な感染症に至るまで、細菌やウイルスはさまざまな病気の原因になりうる。
それゆえ、動物としての私たちには彼らへの警戒本能が備わっているのかもしれない。
腐っていそうな食べ物は食べたくならないし、他人の便や鼻水などには触りたくない。
99.9%除菌の洗濯用洗剤を選ぶところまで本能に組み込まれているかどうかはわからないが。

もちろん、微生物たちに私たちの生活が支えられている場面は山ほどある。
ワインやヨーグルト、日本酒や納豆は微生物の働きなくしてはありえない。下水の処理も、微生物たちが担ってくれている。
しかしそういった微生物の活躍ぶりは、普通に生活している(特に都市部で)限りではなかなか意識にのぼることがない。

19世紀にコッホやパスツールらが謎の疫病の正体を細菌に見いだしてから、菌やウイルスは戦うべき相手だとみなされてきた。
彼らの唱えた「微生物病原説」は、人類の病気に対する理解をかなり深めてくれた。
20世紀半ばに抗生物質が普及して以降、少なくとも先進国において感染症で命を落とす人々は激減した。産業革命以降の人口爆発の始まりだ。

しかし、私たちは病原菌に気を取られるあまり、その他大多数の害のない微生物を無視してきた。いや、存在さえ知らなかった。
微生物学者ジョーン・イングラハムの言葉を借りるなら、人間の中の殺人者の割合のほうが、微生物の中の病原体の割合よりも高いというのに。(1, p5)

「害のない」というのは、ちょっと控えめすぎるかもしれない。彼らは私たちにとって、どういう存在なのだろうか。

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もしも体から微生物がいなくなったら

もしも私たちの体から微生物がいなくなったら、私たちは感染症にかかって死ぬ。
無菌マウスは、無菌室の外に出したとたんに感染症で死んでしまう。
そう、細菌をはじめとした微生物たちは、私たちを病原体から守ってくれる免疫の一部でもあるのだ。

私たちの体から微生物を一匹残らず取り除こうと思えば、私たちの体ごと紫外線殺菌するか、120度以上で15分以上滅菌するしかない。
いや、それでも生き残る細菌やウイルスもいるかもしれない。

1971年にひとりの少年がこの世に生を受けた。デイヴィット・ヴェッターという名のその少年は、重症複合型免疫不全症(SCID)という生まれつきの遺伝疾患を抱えていた。この病気は、病原体に対して何ひとつ対抗できない免疫系の疾患だ。

彼は帝王切開で生まれ、ビニール製の無菌空間で慎重に育てられた。その姿から「バブルボーイ」と呼ばれた彼は、自分の運命を受け入れつつも、いつかその空間から出ることを夢見ていた。残念ながら家族には適合する骨髄ドナーがおらず、リスクを承知で姉の骨髄を移植したが、手術から4ヶ月後に感染症で亡くなった。(2)

驚くべきことに、彼の腸には少しずつ細菌のコロニーができていた。この常在菌たちが、デイヴィットの健康をある程度守っていたと考えられる。
この菌たちがいなければ、彼の盲腸は巨大化し、小腸もひだのないのっぺりとしたものだっただろう。ちょうど無菌マウスの盲腸や小腸がそんなふうであるように。(3, P190)

無菌の部屋で暮らしていたとしても、生命維持に必要な様々な物質が足りず、長生きは望めない。
細菌たちは免疫機能以外にも様々な働きを担っているからだ。(詳しくは腸内細菌の働きを、不躾ながらあっさりまとめます

もしも地球から微生物がいなくなったら

では、地球全体から微生物がいなくなってしまえばいいのだろうか?
そうすれば、病原体に感染する心配もしなくて済む。

微生物の勉強をほんの少しでも始めると、そんな仮定を立ててみた自分をすぐに恥じることになる。

まず、微生物は我々の祖先なのだ。岩石だけだった地球に、38億年前に生命が生まれた。彼らは今の微生物たちとかなり似たつくりをしていたと考えられている。
それから今に至るまで、私たちは微生物の一部として、微生物も私たちの一部として共に進化してきた。どう考えても切り離せるものではない。

そして、微生物は文字通り「地球をつくって」きた。あらゆる物質を代謝し、分子レベルで循環させてきた。彼らがいなければ、今頃地球は死骸だらけでひと回りもふた周りも大きくなっていたかもしれない。
食物連鎖の分解者として、生産者として、そして捕食者として、あらゆるフェーズに微生物は登場するのだ。(1, P4-18)

これを知った私たちは、もう「細菌やウイルスなんて地球からいなくなればいいのに」なんてことは言えなくなるだろう。

世界が「健康のための微生物研究」に舵を切り始めた

地球には、10の30乗の細菌や古細菌がいる。10の31乗のウイルスがいる。それほど正確ではない数字かもしれないが、ヒトの個体数が10の9乗の桁数であることを考えると、途方もない数字だ。

彼らの種類については、もっと不確かだ。細菌や古細菌だけで数百万とも言われるが、細菌やウイルスは簡単に種レベルで突然変異する。
それでも、細菌やウイルス、真菌や寄生虫などすべてを合わせた「ヒトにとっての病原体」は、たった1,400種類しかいない。

菌やウイルス=病原体という認識は、明らかに間違っている。

20世紀後半からの科学技術によって、これまで存在を確認することが難しかった微生物たちを可視化できるようになってきた。
その他大勢の無数の微生物は、実はヒトの健康になくてはならない働きをしているのではないか?

多くの研究者たちが、そう考え始めた。

2007年、アメリカ国立衛生研究所(NIH)は、巨額の投資をしてHuman Microbiome Project(HMP、ヒト・マイクロバイオーム・プロジェクト)を立ち上げた。
ヒトの体内外にある微生物の構成やその働きを明らかにすることが目的だ。

その少しあと、欧州の8カ国15機関が共同でMetaHIT(メタヒット)というプロジェクトを立ち上げた。こちらは、炎症性腸疾患(IBD)や肥満にかかわる微生物を明らかにしようとしている。

微生物研究を長くしてきた研究者たちからすると、微生物のゲノムを丸裸にしようとしたり、ヒトにとって有益か有害かといった観点で微生物を研究することは、無謀あるいは傲慢な試みに見えるかもしれない。

それでも現実として、ヒトゲノム計画が終わって落胆した人たちが次に目を向けたのがこの分野だったのだ。筆者としては、動機はどうであれ、微生物研究に国費が回されるようになったのは喜ばしいことだと思う。
世界で日々進むハイレベルな研究の一端を、みなさんにお伝えしていければと思っている。

細菌をはじめとする病原体はもはや、コッホの原則にしたがって単独で病原性を発揮するものだけにとどまらない。さまざまな細菌やウイルスの相互関連、その活性状態や宿主との関係を含めた「状態」こそが、病的であるかどうかを決めるものなのだ。

pathogen(病原体)からpathobiome(病生物群集)へと概念が徐々に切り替わるなか、病原菌さえ微生物の生態系には必要なメンバーであるという考え方すら可能になってくる。

嫌われ者や仲間はずれは誰もいない。
こう書くと綺麗ごとのようにも聞こえるが、筆者としては実際にそこに真実が含まれている気がしてならない。

1. カーチマンデイビッド・L, Kirchman DL. 微生物生態学: ゲノム解析からエコシステムまで. 京都大学学術出版会; 2016.
2. The Story of David Vetter | Immune Deficiency Foundation. Accessed July 3, 2023. https://primaryimmune.org/story-david-vetter
3. Collen A, アランナコリン. あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた. 河出書房新社; 2020.

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