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『枕草子』朗詠 第六段「翁丸なる犬の涙」 ②打たれし犬

どこかでひどく啼きさわぐ犬の声がして、清掃人が走って知らせに来ます。
「蔵人が、犬を二人がかりで打擲しています。あれでは死んでしまう。追放された犬が戻ってきたと懲らしめているようです」
きっと翁丸だ、と、止めにやりますが、やがて啼きやみ、
「死んだので、外に棄てられました」
とのこと。
その日の夕方、ひどく腫れて見苦しく、つらそうに震えている犬が歩いていたので、翁丸だろうかと呼んでみても、反応がない。
見てわからないほど、ひどく打たれて様変わりしていたのでしょう。
皆で、そうじゃないか、違うのじゃないかと言い合うばかりなので、中宮が、翁丸をよく知っている右近という女官を召しますが、右近も、
「似ているようだけれど、呼んでも懐いてこないし、翁丸は二人がかりで打たれて、死んで棄てられたと聴きますので、生きておりませんでしょう。違うと存じます」
などと応えます。
食べ物をやっても食べないし、やはり違う犬かということになりましたが、
翌朝、中宮がお化粧の際にご覧になると、昨日の犬が、柱のもとにいる。
「昨日は翁丸が死ぬまで打たれて可哀想だったわ。次の世は何に生まれ変わるのかしら。打たれてどんなにつらかったことか」
などと、清少納言がつぶやくと、
犬が、身を震わせわなないて、涙を落とすではありませんか……


犬ですから、追い出されて遠くへやられても、もとの場所へ戻ろうとします。
可愛がってくれた人たちのいる、馴染んだ場所へ戻ったのに、さんざんに痛めつけられたことは、翁丸にとって恐ろしく、
呼ばれても情を向けられても、警戒がやまなかったのは当然のことでしょう。
けれど、清少納言の「あわれ」との言葉に、
絶えきれぬように、犬は、涙を流す……

書いていて、こちらまで涙がこぼれます。

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