死にたい夜を超えたら、推しの佐久間くんに生きてて「よかった」と言われた話




新卒で入った会社に勤めてたった10ヶ月のとき、
私は休職した。
1年、休職した。

婦人系の病気。
持病のメニエール。
精神的な落ち込み。

いろいろ理由はあったけれど、
とにかく私は突然、働けなくなった。

人生、終わりだと思った。なにもかも。

働きたくなさすぎて仮病をしているのだと、
最初は何回も自分に言い聞かせた。

仮病のはずなのに何回も吐いて、
生理が何ヶ月も止まらなくなった。
貧血で倒れて、めまいで立ち上がれなくなった。

大丈夫なんです、なんか調子悪いだけで。
と上司と面談で話した日の夜に
生まれて初めて過呼吸を起こして、
20数年生きてきたのに、
初めて呼吸が苦手になった。

最後は全く眠れなくなった。
ベッドで眠ることができないから、
日中、椅子に膝を抱えて
数分ずつ意識を飛ばすことしかできなくなった。

人生、終わりだと思った。なにもかも。

大した高さでもないマンションの一室。
落ちても骨折くらいにしかならないなと
いま思えば洒落にならないことを
本気で考えていた。

人生のレールから外れてしまったいま、
生きる意味なんてないんじゃないかと
本気で思っていた。


そんなとき、推しに出会った。


ふさぎこむ私に、
ありがたいことに何人かの友だちが声をかけ、
外に、あるいは友だちの家に連れ出してくれた。

そしてそのとき、たまたまひとりの友だちが、
Snow Manにハマっていた。

「暇なんだったら9人の名前と顔を一致させてこい」
と、無理やりDVDとCDを渡され、
宿題を与えられた。
(当時は宿題だったけど、
いまでは見せてくれて本当に感謝)

人数多すぎるしあんま興味ないな、
と思いながらDVDを再生させる
うーん、人数多すぎる。
かっこいい……のか? 
推しとか決める以前に、
人が多すぎて誰が誰なのか認識がつかない。

ぼんやりしながら、
いろんな映像を眺めていたとき、
私はひとりの子に、ずっと目がいってることに気がついた。

この佐久間くんって子は、ずっとキラキラしてて目を惹くな。

そのちいさな引っ掛かりは少しずつ大きくなり
気付けば佐久間くんを見るために
次の、次の映像をと見続けている自分がいることに気づいた。

たどり着いたのが
Snow Manのデビュー後初めてのコンサートでの
佐久間くんのさいごの挨拶。
そのひとことに、私は人生を救われた。

「絶対にみんな 生きてたら絶対会えるから 
 一緒に会おう」

はじめてその言葉を聞いたとき、
自分でもびっくりするくらい
ぼろぼろと涙があふれてきた。

Snow Manのデビュー当時は、
2020年コロナ禍。
デビュー後初めてのコンサートは、無観客だった。

佐久間くんは目の前にいない、
配信の向こうのお客さんに向けて
いつか一緒に会おうねと、
呼びかけてくれていたんだけれども

私は「あぁそっか、生きてたら佐久間くんに会えるんだ」と
その前提の、あたりまえのところで納得して、涙を流していた。

たぶん、そんなあたりまえのことがわからなくなっていた。

佐久間くんに会うために、
生きてなきゃいけないんだ。
病気を治さなきゃいけないんだ。
お金を稼がなきゃいけないんだ。
会社に戻らなきゃいけないんだ。

ただ、画面の前の「推し」に会うために。

生きてる理由ってもっとなんか、
高尚なものじゃなきゃいけないんだと
勝手に思い込んでいた。

でも、ただ好きな人に会いたい。
そのために頑張りたい。
生きている理由なんて、たったそれだけで十分なんだって気づいた。


そこからあっというまに、とは言えないけれど。
私は自分の不調に向き合い、克服し、なんとか元の会社に復職した。


復職してちょうど半年経ったとき、
Snow Manのアリーナツアーのチケットが当たった。
神さまって見てくれてるもんだなと思った。

スタンドブロックと呼ばれる部分の、
真ん中あたりの席に座って、それが初めてのアリーナコンサートだったから、
席の良し悪しなんてわからないけれど、
佐久間くんが見られるならもう、これ以上はないなと思った。

コンサートも後半。
スタンドトロッコという、アイドルがトロッコに乗って上の方の席の観客に近づく、という演出に差し掛かったとき
Snow Manたちが通り過ぎるときの顔の位置が
ちょうど自分たちの目の前になるんだということに気づいた。

創り物かと見紛うほどに美しいラウールや、
汗すらもキラキラ美しい目黒くんが通り過ぎるなかで、
推しの佐久間くんも目の前に通り過ぎるんだってことに気づいて、私はパニックになった。

そのとき流行りに乗っかって、
アイドルたちにメッセージを届けられる「カンペうちわ」なるものを作ってみていて、
「ピースして」とか「指さして」とか
そういうのを出すか迷って、
ああでも、どうしても伝えたいメッセージがあるのだと、思い出した。

「生きていたら 会えた!」

これだ、これを見てくれるだけでいい。
あなたの言葉に救われて、
あなたの言葉に生かされて、
ようやく、あなたに会いに来れたのだと。
それが伝えられたら、それだけでいい。

そう思って、
うちわを佐久間くんに向けて振った。
1年前、無理な宿題で
Snow Manに出会わせてくれた友だちが
となりで一緒になってそのうちわを
指差してくれた。

佐久間くんはまず友だちの方を見て、
そしてその子の指先をなぞるように見た。
(もはや、スローモーションのように見えた)

そして、うちわを見た瞬間
少し恥ずかしそうな、優しい顔をして
ひとこと「よかった」って、
私のほうを見て、言ってくれた。

つぶやくみたいに言ったから、
ほとんど声は聞こえなかったけど
それでもそう口元が動いて、
はにかんでくれたから
あぁ、伝わったんだって
これまでの苦しかった期間が
報われたような気がして、
涙が止まらなくなった。

佐久間くんは言霊を大事にしていて、
ブログや雑誌でもそれをよく聞く。
その言霊には本当に力があると思う。
その言葉に生かされて、
私は佐久間くんに確かに会えたのだから。


それから2年、
佐久間くんのために生きていたら、
いつのまにか他にも
好きなこと、もの、ひとがたくさん増えて
私は佐久間くんをはじめとした、
いろんな「好きなもの」のために
生きているようになった。
生きていられるようになった。

昨日、いつも通っている美容院の美容師さんに
「ピンク色が、お好きなんですか」と聞かれた。

ハッとした。
スマホの色も、ワイヤレスイヤホンのケースも、手帳も。
色合いは違えど、みんなピンク色を選んでることに気づいた。

「そうみたいです」

メンバーカラーであり、
いまではすっかりトレードマークになった髪色の
ピンク色。

あの日から少しは強くなれたつもりでいけれど、
私はいまもずっと、
ピンク色をまとう神さまに生かされているらしい。


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