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才能を活かして稼いで生きていけるわけではないという現実

きょうは息子たちの月に一回の診察の日だった。

5分程の診察の中で主治医は、「息子くんのIQだけみると東大はいれるよね」と、、、
私はお決まりの言葉を頭で回転させた。はいはい。そうねIQだけみればね。

知能には無数の考え方があるのだが、代表的なものでは流動性知能と結晶性知能という考え方だ。キャッテルが考えた理論だが、結晶性知能は経験や学習によって獲得する知能であり晩年も伸びていきやすい知能だ。※詳しくはググってね

一方で、流動性知能は環境適応にかかわる知能で、主にワーキングメモリの要素からなる。うちの子たちはこのワーキングメモリのIQが高い部類だ。地頭がいいっていう感じだ。これだけ聞くと、社会に適応しやすい子のように感じただろう。だが、人間というのはそんなに簡単な生き物ではないのだ。

私は予測が大得意だが、私には息子の未来を描くことができない。息子は子どもで、不安定で不確かな要素がありすぎるからだとおもう。
だが、多くの東大生が過ごした小学生時代と息子の様子を比較する限り、息子は東大入はムリだろうという予測をしてしまう。
同時に彼が東大に入らなかった場合、その将来は明るくないだろうという仮説もたってしまう。人生が豊かになる要素に、良き友良き縁は欠くことができないからだ。何が言いたいかというと、、、同じような要素を持ち合わせた仲間というのはモラトリアム期のメンタルにおいて欠くことができない。息子のIQが高い事はわかっているが、同じ要素をもった仲間を見つけるためには、日本においては高学歴な環境に身を置くことが最短でコストが低い。そうなると、東大または東大のような大学へ進学できなかった場合、私がそうだったようにモラトリアム期をこじらせるかもしれない。いまわかっているのはここまで。
私が抱えている莫大で、漠然な不安だ。

「才能を活かして稼いで生きていけるわけではないという現実を親に理解してもらうこと」というツイッターでみかけた2eを支援している方のツイートだった。「全国大会で優勝したら誰もがプロになって成功するわけではないのと似ていると」と続けてツイートされていた。才能を活かして稼いで生きていくことは不可能なのか、、、今週はこの問題を広く狭く、遠く近く、様々な方向から噛み砕いて分析中だ。東大、、、息子が大学生まで8年。たったの8年。私は才能に自身を持って活かして稼いで生きてほしい。だって彼らはできないこと、苦手なことがあまりにも多く、信じられないくらい繊細で、敏感で賢い。その才能を活かさずとも自信をもって生きていくには、あまりにも社会は厳しいのではないだろうか。

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