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夜鳴きそば

忘れられない味がある。


祖母の作るお味噌汁とか

母が作る鮭ご飯とか

父が作る牛乳ラーメンだとか

家庭で食べる 家族が作るその味のほかにも

自分には 忘れられない味がある。


それは小さなトラックで

金曜日の夜にだけやってくる

『夜鳴きそば』


夏休みや冬休みには必ず行く 

母親の育った町で

決まって その夜鳴きそばを食べた


金曜日の夜10時過ぎ

どこからともなく

チャルメラの音色が 近付いてくる

“ソラシ~ラソ ソラシラソ ラ~♪”

それから ぶるるるーんっという

独特のエンジン音


仕事を終えたばかりの伯母と 一緒になって

祖父の下駄だか 祖母のつっ掛けだか

そこら辺にある履き物を

まだ幼い自分も必死で履いて

あわてて 玄関の外に飛び出して行く


『おじさ~ん!

おじさ~ん! 待って~!!!』

足の早い伯母の後を 必死についてって叫ぶ


トラックは止まる

中から少し小太りの 頭がつるっとした

笑顔がすてきな おじさんが

『おぉ~ぅ! どしたん?

走って来てくれたんか!!ははははー!』と

やさしく、豪快に笑いながら

『いくつにするん~?』と訊いてくれる


指を折りおり、

『5つちょーだい』とつぶやく

さっき元気に叫んだ声は

どこへ消えたのやら 

恥ずかしくて 伯母の陰からつぶやく


『あいよ~!5つね~ はははは!!』

また おじさんは笑う


そして あっという間に

トラックに備え付けの 大きな鍋で

ぐらぐら沸く熱湯に 麺をくぐらせ

工事現場のシャベルのように大きな網で

何かの特別な技のように 

熱湯と湯気の弧を描きながら

フイっと麺をすくって

発泡スチロール製の ラーメン鉢5つに

夜鳴きそばを作った


《おじさんは魔法使いじゃないかな…》

心の中でそう思いながら

伯母が受け取った 銀色のおぼんの上の

あつあつのラーメンを見たくて

背伸びをしながら 鼻の下をのばしていた


たしか1杯500円くらい

行列して食べる有名人気店の

食べれば納得の “高級な一杯”や

こだわり店主やラーメン職人の

極めに極めた “至極の一杯”ではない


それでもあの『夜鳴きそば』の味は

今でも心を掴んではなさない味だ


もう一度食べたいけれど

もう随分と前に

おじさんは亡くなってしまったらしい

祖母が亡くなる前に

風の便りに聞いたと 教えてくれた


「また食べたかったなぁ…

あのおじさんのラーメン。」

金曜日の夜には ふと思い出す

食べられないなんて まだ信じられない

大人になって 

おじさんが魔法使いじゃないってわかっても

あれはもう食べられない なんて

あんまり信じたくない現実だ


どこからか聞こえて来ないだろうか

『今日はいくつにするん~?』






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