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人生はゲームそのものなのに、なぜつまらないのか


シミュレーション仮説というものについて興味を持った。

一番好きなyoutuber がそれについて語っていたことがきっかけだ。



簡単にいうと、僕たちが生きてきた10年間、20年間の中で、ゲームというものは進化してきた。グラフィックが現実世界と遜色ないほどきれいになったし、同時進行でプレイできる人数も増えてきた。


この調子で進化しつづけたら、地球規模のステージ、地球規模の質が備わったゲームができるのではないか。

それならば、今僕らが生きているこの人生も、実はゲームそのもので、より高度な世界を生きる者によって創設されたものではないか、という仮説だ。



おもしろいな〜と思うし、実際その通りなんだろうなと思う。世界中の宗教において、より高度な世界を生きる者=神によってこの世は創られたと昔から言われてるし、そんなに変ではない、むしろ納得できるものだった。




そんなシミュレーション仮説に基づいた時にいくつか疑問が出てきた。
それは人生はゲームであるにも関わらず、なぜつまらないのか?ということだった。


自分なりに考えた時に、それはルール、制限がないからではないかと考えた。
子どもたちが「ゲームをしよう!」という時には、必ずルールが設けられる。ルールを破ったものは、ルール違反として取り締まることで「ゲーム」というものは成立する。(横断歩道の白い部分以外はマグマで死ぬなど。)


またルールが生まれると同時に、そこにはルールを破ることによる快感も生まれる。
(僕はドッジボールをしてた時に、ボールが当たっても「ゆうれい〜」と言って勝手に復帰していた。ごめんなさい。)


ある意味、人生というゲームは自由度が高すぎるため、そもそもゲームだという認識を忘れてしまい、自分自身を守ることが目的化した、保守的なマインドになってしまって、ルールを、楽しむもの、そして破れるものということを忘れてしまって、なんとなく日々を過ごしてるのではないか。とまあそんなことを考えていた。



そう考えると日々のお仕事も、実はただのルールの1つであって、ゲームをゲームとして認識して楽しむための手段であって、そのルールを守ることも、そして破ることも別に可能だ。
そんな認識を持つことで精神的な牢獄から脱出でき、過労死したりすることもないんじゃないかなと思ったりもした。




話は変わるが、僕の最近のマイブームはお金の勉強だ。資産形成に関する本や動画を見まくっていて、いかに資産を増やすかについて考えてる。


でもそれは結局のところ、ゲームの世界におけるコイン集めでしかないわけだ。
コインはあって便利なものだ。強い武器を作れたり、便利なアイテムを購入できたりする。でもいつか使うだろうとコインをケチってしまい、結局使わないままゲームそのものに飽きてしまい、そのころには保有しているコインの多さに虚しくなったことがあるのは僕だけじゃないはずだ。



たぶん人生が終わり死ぬ瞬間もそんな風に思うのではないだろうか。お金をうまく人生の思い出作りに換金していきたい。死後の世界にもお金を持っていくことはできないのだから。


天国に持ってけるのは思い出くらい
なら立派な大人よりよりよく遊ぶplayer

EVISBEATS / 夢の続き



ところで「ゲームの中で自己実現する」という文章があったら違和感を持たないだろうか。
僕らは普段の会話の中で時々「自己実現」という言葉を普通に使う。しかし 「ゲームの中で」という枕詞をつけると途端に変な感じになる。


もちろん「ゲームの世界よりも、高度な次元である人生というフィールドにおいて、自己実現という崇高なものは行うべきだ」という理由もあるだろう。


しかしそれ以外にも違和感があるはずだ。
それはストーリーがすでに決まっているからだ。


「スーパーマリオで自己実現する」とは言わない。
なぜならクッパというラスボス倒し、ピーチ姫を助けるというシナリオ、ストーリーはすでに決まってるものだからだ。


シミュレーション仮説に基づくと、人生というゲームも実はストーリーはすでに全て決められているらしい。
そう考えると、シミュレーション仮説が証明される頃には、自己実現という概念そのものが意味を持たなくなってるのかもしれない。


人生というゲーム、ストーリーに沿って、ダンスすることは、結局全て予定調和なのかもしれない。


しかしそうやって予定調和に踊ることこそが「自己実現」なのかもしれない、、より高度な世界を生きる者たちに操られながら、僕たちはマリオとして虚しさと共に踊るこそが自己実現なのかもしれない。そしてそれは別に虚しいことでもないのかもしれない、、


そんなフワフワした所にしか今は議論を着地させることができないのだが、「人生はもしかしたらゲームなのかもしれない」という不思議な観点を持ち続けていきたい。

人生はもしかしたら僕らが思ってる以上におもしろいかもしれない。


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